運行された車両
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「オリエント・エクスプレス '88」の記事における「運行された車両」の解説
「ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行#各車の詳細」も参照 パリ発車時点では客車15両に郵便車を増結していた が、日本運行ではホーム有効長の関係から客車は11両とし、前後に控車を連結した13両の編成とした。下記の車両のほか、日立製作所笠戸事業所で作業の検証のために寝台車(Lx形 3540号車)が1両日本に運び込まれた。 日本国内を走行した客車は以下の通り。順序は広島 - 東京間走行時の東京方からの連結順である。諸元は日本国内走行用に改造後のものである。 車両番号形式車両の種類定員空車重量積車重量製造年備考オニ23 1 オニ23 控車 1968年 廃車後に国鉄清算事業団の所有となっていたナハネフ23形寝台車を改造した。ナハネフ23は内装をすべて撤去した上で、「オニ23形」という新形式車両として使用された。当時日立製作所が開発していたハイビジョン装置を備えた上映室に改装し、車内でオリエント急行の映像を上映する「日立パビリオンカー」として使用。列車の運行終了後は用途を失い、廃車となっている。 3909 WLA YU スタッフ車 26名 51t 53t 1949年 スタッフ専用寝台車 1286 D 荷物車 40t 45t 1928年 冷蔵室、調理準備室、皿洗い室、予備部品倉庫、工作室を設置。日本国内運行ではキューボラを交換し、発電機を搭載。 3354 WR 食堂車 30名 55t 57t 1927年 元フランス大統領専用車「プレジデンシャル」。日本運行では冷房装置を撤去。 4158 WSP プルマン車 28名 51t 53t 1929年 食堂車として使用。食事は3354号車から提供。。 4164 ARP ピアノバー車 28名 51t 53t 1929年 3551 WLA LX20 寝台車 20名 51t 53t 1929年 2人個室×10部屋 3542 WLA LX16 寝台車 16名 51t 53t 1929年 1人個室×4部屋・2人個室×6部屋 3480 WLA LX16 寝台車 16名 51t 53t 1929年 1人個室×4部屋・2人個室×6部屋 3537 WLA LX16 寝台車 16名 51t 53t 1929年 1人個室×4部屋・2人個室×6部屋 3472 WLA LX16 寝台車 16名 51t 53t 1929年 1人個室×4部屋・2人個室×6部屋 3487 WLA LX16 寝台車 16名 51t 53t 1929年 1人個室×4部屋・2人個室×6部屋 マニ50 2236 マニ50 控車 1981年 郵便・荷物輸送列車の廃止によって余剰となっていたマニ50形荷物車を、元来の車体色である青15号に加え、幕板部分のロゴと側面窓下に金色のストライプが施された。ワゴン・リの客車と連結する車端部の連結幌と連結器は、イントラフルーク社から提供を受けた部品を使用していた。リネン用倉庫として使用。列車の運行終了後は用途を失い、廃車となっている。 またパリ発車時に連結されていたが、日本国内では運行されなかった客車は以下である。 車両番号形式車両の種類製造年備考 郵便車 テレビスタッフ用 4149 WSP プルマン車 1929年 食堂車として使用。食事は3354号車から提供。 3475 WLA Lx 寝台車 1929年 4013 シャワー車 1926年(1967年改造) 3851 WLA Yb スタッフ車 1941年 なおイントラフルーク社は旧ミトローパの「ラインゴルト」用サロン車(No. 24507)も保有していたが、ソ連通過用の台車が作れなかったためオリエント・エクスプレス'88には加わっていない。
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