各車の詳細
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「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス」の記事における「各車の詳細」の解説
Audrey 元はブライトン・ベル用の客車である。1940年にロンドン・ヴィクトリア駅で空襲に遭ったものの、後に修復された。イギリス女王エリザベス2世が1953年の観艦式と1964年のサセックス大学訪問の際に乗車している。 Cygnus 1951年のFestival of Britainに用いられた。ゴールデン・アローとしてロンドン - ドーバー間で運行された。また映画「アガサ 愛の失踪事件」の撮影にも用いられている。 Gwen 元ブライトン・ベル用。1972年まで現役で用いられ、その後はレストランになっていた。1988年にオリエント・エクスプレス・ホテルズ社が購入し、1999年からブリティッシュ・プルマンで使用されている。 Ibis 1928年まではワゴン・リ社に所属し大陸で用いられていた。その後ゴールデン・アローで運用された。戦後一時期イギリス海軍のレストランとなった後、1952年からロンドン - サウザンプトン間のボートトレイン"Cunard"に用いられた。 Ione ロンドンとプリマス、サウザンプトンなどを結ぶボートトレインやゴールデン・アローのほか、クイーン・オブ・スコッツ(ロンドン - グラスゴー、エディンバラ)で用いられた。その後個人の所有となり、1982年12月にオリエント・エクスプレス・ホテルズ社が購入した。 Lucille 元はクイーン・オブ・スコッツ用。1985年にオリエント・エクスプレス・ホテルズ社が購入した。 Minerva 元ゴールデン・アロー用。 Perseus 元ゴールデン・アロー用。1956年、イギリスを訪問したソビエト連邦のニキータ・フルシチョフとニコライ・ブルガーニンが乗車した。1965年にはウィンストン・チャーチルの葬送列車に用いられた。 Phoenix 1927年にRainbowという名で製造されたが、1936年に火災により損傷した。車台を再利用して1952年に再建され、Phoenixと改名された。ゴールデン・アローでの定期運用のほか、エリザベス王大后やフランスのシャルル・ド・ゴールの専用列車に用いられた。1973年からはフランスのリヨンでレストランとなっていた。 Vera 1940年にロンドン・ヴィクトリア駅で空襲に遭ったものの、後に修復された。1985年にオリエント・エクスプレス・ホテルズ社が購入し、1990年からブリティッシュ・プルマンで使用されている。 Zena クイーン・オブ・スコッツ、ゴールデン・アローなどで用いられた。1950年にはフランス大統領ヴァンサン・オリオールが乗車し、メニューの裏にジョージ6世へのメッセージを残した。映画「アガサ 愛の失踪事件」の撮影にも用いられている。
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3309 1920年代から30年代にかけてオリエント急行(シンプロン・オリエント急行なども含む)で用いられた。1929年にシンプロン・オリエント急行が吹雪のため10日間立ち往生した際の客車の1両である。第二次世界大戦中はドイツ軍に徴用されていた。戦後再びオリエント急行に復帰した。1958年にリスボンに拠点を移して主に南急行で用いられ、1971年に運用を終えた。 3425 1930年代まではオリエント急行のカルロヴィ・ヴァリへの分岐やアールベルク・オリエント急行、シンプロン・オリエント急行などに用いられた。1940年にルーマニア国王を退位したカロル2世がシンプロン・オリエント急行で亡命した際の客車の一両である。 3539 ピレネー・コートダルジャン急行、青列車などに用いられた。世界恐慌後には一時予備車となっていた。1945年から1947年まではアメリカ陸軍によって軍用列車「モーツァルト急行」(Mozart Express, ストラスブール - ウィーン)として運行された。 3543 ピレネー・コートダルジャン急行、青列車、ローマ急行などに用いられた。シャーウッドが1977年のオークションで購入した車両のうちの一両である。 3544 大戦前はピレネー・コートダルジャン急行(パリ - ビアリッツ)、青列車、ローマ急行などに用いられた。大戦中はリモージュにおいて売春宿と化していた。戦後オランダ王室の専用列車となった後、1948年から青列車、シンプロン・オリエント急行の運用に復帰している。 3674 元は食堂車であり、パリとル・アーヴルを結ぶ「大西洋横断列車(Trains Transatrantiques)」などの大西洋航路接続列車に連結されていた。後にパリ - トゥールーズ間のル・キャピトールにも用いられている。VSOEではGerard Galletによるアールヌーヴォー調の装飾が施され、ピアノを備えたバー車となっている。 4095 元は二等プルマン車で、エトワール・デュ・ノール(パリ - アムステルダム)やエーデルヴァイスなどの昼行列車に用いられた。1960年代にはイベリア半島でルシタニア急行(リスボン - マドリッド)間などに充当された。VSOEでは食堂車"L'Oriental"となっている。元は38席あったがVSOEへの改造時に36席となった。 4110 元は二等プルマン車。ドナウ・プルマン特急(ブカレスト - コンスタンツァ)などで用いられた。VSOEでは食堂車"Etoile du Nord"となっている。元は38席あったがVSOEへの改造時に36席となった。 4141 元は一等プルマン車で、プルマン・コートダジュール急行などに用いられた。VSOEでは食堂車"Côte d’Azur"となっている。元は20席であったが、VSOEへの改造時に35席となり、のちにバーの新設のため30席に削減された。
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