各車の詳細とは? わかりやすく解説

各車の詳細

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/09 17:19 UTC 版)

ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス」の記事における「各車の詳細」の解説

Audrey 元はブライトン・ベル用の客車である。1940年ロンドン・ヴィクトリア駅空襲遭ったものの、後に修復された。イギリス女王エリザベス2世1953年観艦式1964年サセックス大学訪問の際に乗車している。 Cygnus 1951年Festival of Britain用いられた。ゴールデン・アローとしてロンドン - ドーバー間で運行された。また映画アガサ 愛の失踪事件」の撮影にも用いられている。 Gwen 元ブライトン・ベル用。1972年まで現役用いられその後レストランになっていた。1988年オリエント・エクスプレス・ホテルズ社が購入し1999年からブリティッシュ・プルマンで使用されている。 Ibis 1928年まではワゴン・リ社所属し大陸用いられていた。その後ゴールデン・アロー運用された。戦後一時期イギリス海軍レストランとなった後、1952年からロンドン - サウザンプトン間のボートトレイン"Cunard"に用いられた。 Ione ロンドンプリマスサウザンプトンなどを結ぶボートトレインゴールデン・アローのほか、クイーン・オブ・スコッツ(ロンドン - グラスゴーエディンバラ)で用いられた。その後個人所有となり、1982年12月オリエント・エクスプレス・ホテルズ社が購入したLucille 元はクイーン・オブ・スコッツ用。1985年オリエント・エクスプレス・ホテルズ社が購入したMinervaゴールデン・アロー用。 Perseusゴールデン・アロー用。1956年イギリス訪問したソビエト連邦ニキータ・フルシチョフニコライ・ブルガーニン乗車した1965年にはウィンストン・チャーチル葬送列車用いられた。 Phoenix 1927年Rainbowという名で製造されたが、1936年火災により損傷した車台再利用して1952年再建されPhoenix改名された。ゴールデン・アローでの定期運用のほか、エリザベス大后フランスシャルル・ド・ゴール専用列車用いられた。1973年からはフランスリヨンレストランとなっていた。 Vera 1940年ロンドン・ヴィクトリア駅空襲遭ったものの、後に修復された。1985年オリエント・エクスプレス・ホテルズ社が購入し1990年からブリティッシュ・プルマンで使用されている。 Zena クイーン・オブ・スコッツ、ゴールデン・アローなどで用いられた。1950年にはフランス大統領ヴァンサン・オリオール乗車しメニューの裏ジョージ6世へのメッセージ残した映画アガサ 愛の失踪事件」の撮影にも用いられている。

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ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス」の記事における「各車の詳細」の解説

3309 1920年代から30年代にかけてオリエント急行(シンプロン・オリエント急行なども含む)で用いられた。1929年にシンプロン・オリエント急行吹雪のため10日立ち往生した際の客車の1両である。第二次世界大戦中ドイツ軍徴用されていた。戦後再びオリエント急行復帰した1958年リスボン拠点移して主に南急行用いられ1971年運用終えた3425 1930年代までオリエント急行カルロヴィ・ヴァリへの分岐やアールベルク・オリエント急行、シンプロン・オリエント急行などに用いられた。1940年ルーマニア国王退位したカロル2世がシンプロン・オリエント急行亡命した際の客車一両である。 3539 ピレネー・コートダルジャン急行青列車などに用いられた。世界恐慌後には一時予備となっていた。1945年から1947年まではアメリカ陸軍によって軍用列車モーツァルト急行」(Mozart Express, ストラスブール - ウィーン)として運行された。 3543 ピレネー・コートダルジャン急行青列車ローマ急行などに用いられた。シャーウッド1977年オークションで購入した車両のうちの一両である。 3544 大戦前はピレネー・コートダルジャン急行パリ - ビアリッツ)、青列車ローマ急行などに用いられた。大戦中はリモージュにおいて売春宿化していた。戦後オランダ王室専用列車となった後、1948年から青列車、シンプロン・オリエント急行運用復帰している。 3674 元は食堂車であり、パリル・アーヴルを結ぶ「大西洋横断列車(Trains Transatrantiques)」などの大西洋航路接続列車連結されていた。後にパリ - トゥールーズ間のル・キャピトールにも用いられている。VSOEではGerard Galletによるアールヌーヴォー調の装飾施されピアノ備えたバー車となっている。 4095 元は二等プルマン車でエトワール・デュ・ノールパリ - アムステルダム)やエーデルヴァイスなどの昼行列車用いられた。1960年代にはイベリア半島ルシタニア急行リスボン - マドリッド)間などに充当された。VSOEでは食堂車"L'Oriental"となっている。元は38席あったがVSOEへの改造時に36となった4110 元は二等プルマン車。ドナウ・プルマン特急ブカレスト - コンスタンツァ)などで用いられた。VSOEでは食堂車"Etoile du Nord"となっている。元は38席あったがVSOEへの改造時に36となった4141 元は一等プルマン車で、プルマン・コートダジュール急行などに用いられた。VSOEでは食堂車"Côte dAzur"となっている。元は20であったが、VSOEへの改造時に35席となり、のちにバー新設のため30席に削減された。

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