各車の経歴
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「松本電気鉄道モハ10形電車」の記事における「各車の経歴」の解説
モハ101, 103, 105 1923年(大正12年)8月に日車で製造された形式ホデハ(デハ1, 3, 5)で、5は1930年(昭和5年)に2から改番されたものである。両運転台、片側3扉、ダブルルーフの木造車で、製造当初はポール集電の直接制御式であった。1927年(昭和2年)に主電動機の出力増強(65HP×2→72HP×4)、1952年(昭和27年)10月に集電装置をパンタグラフに変更した。 モハ10形への改造は1958年(昭和33年)12月5日付けのデハ5 → モハ105、1959年(昭和34年)7月1日付けのデハ3 → モハ103、1962年(昭和37年)7月6日付けのデハ1 → モハ101。制御装置のHL化は1956年9月に1、1959年1月に3と105である。 モハ107 1950年(昭和25年)10月20日付けで西武鉄道から譲受した形式デハ(デハ13)で、元は1923年5月梅鉢鉄工所製のモハ105(旧武蔵野鉄道サハ105。翌年10月デハ105。1948年にモハ105)である。松本電気鉄道初の総括制御車で、入線に際して主電動機を65HP×4から100HP×4に、ブレーキ装置をAMM-RからSMEに、パンタグラフをポールに改めたが、後に集電装置はパンタグラフに復している。1960年(昭和35年)7月1日付けで鋼体化によりモハ107となった。 モハ109 1927年4月、汽車製造製の形式ホデハ(デハ9)である。性能は1と同様で、集電装置の交換やHL化も同時期に施行された。車体の屋根はシングルルーフで、お椀形の通風器を装備している。1961年(昭和36年)7月17日付けで鋼体化によりモハ109となった。 モハ1011 1954年10月20日付けで京王帝都電鉄から譲受し、翌年11月1日付けで竣功した形式デハ1(デハ18)である。京王時代の旧番はデハ2006。入線時に主電動機を85HP×2から100HP×2に、ブレーキ装置をAMMからSMEに改めた。1963年5月24日付けで鋼体化によりモハ1011となった。 クハ102 1952年12月25日付けで日本国有鉄道から譲受した形式クハ29(クハ16)である。旧番号はクハ29013。もとは池田鉄道が1926年(大正15年)7月に日車で製造したデハ1で、その後1932年(昭和7年)12月に大糸線の前身である信濃鉄道に譲渡されてデハ3(2代)となり、さらに1937年(昭和12年)6月に国有化されてモハ20003に改番、1949年(昭和24年)に電装解除されてクハ29013となったものである。1964年に鋼体化され、クハ102となった。その際、台車をブリル27MCB-2からTR10に交換されている。
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