信濃鉄道
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信濃鉄道(しなのてつどう)は、かつて長野県松本市の松本駅から大町市の信濃大町駅を結ぶ鉄道路線、および同線を所有していた鉄道会社である。該当路線は現在の東日本旅客鉄道(JR東日本)大糸線の南部にあたる。
- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和12年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 製糸業で財を成した片倉組(後に片倉財閥となる)の長である片倉兼太郎の実弟 肖像写真及び略歴は近代日本人の肖像 を参照(国立国会図書館)
- ^ 『豊科町誌 近現代編』、豊科町誌刊行会(1997)、P484-P490
- ^ 『穂高町誌 歴史編下』、穂高町誌刊行会(1991)、P703-P708
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1911年4月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録。 第21回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年1月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道停車場名称変更並運輸開始」『官報』1915年4月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年6月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年7月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年8月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年10月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年11月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始並停車場改称」『官報』1916年7月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道旅客運輸開始並停車場名改称」『官報』1916年9月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『電気事業要覧. 第19回 昭和3年3月』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道統計。 昭和12年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
信濃鉄道
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信濃鉄道へは、1914年および1915年に16両が譲渡された。これらは三等車(ハ)11両、二等緩急車(ロブ)1両、二等荷物合造緩急車(ロニブ)4両として使用された。番号の新旧対照は次のとおりである。 デ960 → ハ1 デ962 → ハ2 → ハフ1 デ964 → ハ3 デ983 → ハ4 デ985 → ハ5 → ハフ2 デ968 → ハ6 → ロハフ1 デ967 → ハ7 デ979 → ハ8 デ977 → ハ9 デ987 → ハ10 → ハ5[II] デ984 → ハ11 → ハ6[II] デ982 → ロブ1 ニデ950 → ロニブ1 ニデ952 → ロニブ2 ニデ955 → ロニブ3 ニデ953 → ロニブ4 これらは、1925年(大正14年)の電化にともなって廃車されたが、そのうちの2両(ロハフ1, ハ8)は筑摩鉄道(後の松本電気鉄道。現在のアルピコ交通)に譲渡された。これらはハフ1, ハフ2として使用され、1932年(昭和7年)にはそれぞれ荷物室を設ける改造を受けハニフ1, ハニフ2に改称した。このうちハニフ1は1949年(昭和24年)に休車、1955年(昭和30年)に廃車となったが、その後も同社の新村車庫に保管された。一方のハニフ2は、1938年(昭和13年)に松本電気鉄道で廃車されている。なお同車には廃車後布引電気鉄道に譲渡されたという説があるが、真偽ははっきりしていない。
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信濃鉄道
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1915年(大正4年)1月6日:信濃鉄道 松本市駅(現・北松本駅) - 豊科駅間(6.7M≒10.78km)が開業。松本市駅、梓橋停留場(現・梓橋駅)、明盛駅(現・一日市場駅)、豊科駅が開業。 4月5日:南松本駅 - 北松本駅間(0.4M≒0.64km)が延伸開業。貨物駅として南松本駅(松本駅隣接、現在の南松本駅とは別)が開業。松本市駅が北松本駅に改称。 5月1日:明盛駅が一日市場駅に改称。中萱停留場が開業。 6月1日:豊科駅 - 柏矢町駅間(1.7M≒2.74km)が延伸開業。柏矢町駅が開業。 7月15日:柏矢町駅 - 穂高駅間(1.2M≒1.93km)が延伸開業。穂高駅が開業。 8月8日:穂高駅 - 有明駅間(1.4M≒2.25km)が延伸開業。有明駅が開業。 9月16日:梓橋停留場が駅に変更。 9月29日:有明駅 - 池田松川駅(現・信濃松川駅)間(4.7M≒7.56km)延伸開業。細野停留場、池田松川駅が開業。 10月1日:島内駅が開業。 11月2日:池田松川駅 - 信濃大町駅(初代)間(4.6M≒7.40km)が延伸開業。常盤沓掛停留場(現・安曇沓掛駅)、常盤停留場(現・信濃常盤駅)、信濃大町駅(初代)が開業。 11月16日:アルプス追分停留場(のちの安曇追分停留場、現・安曇追分駅)が開業。 1916年(大正5年)7月5日:仏崎駅 - 信濃大町駅(2代目)間(1.1M≒1.77km)が延伸開業。信濃大町駅(2代目)開業に伴い、信濃大町駅(初代)が仏崎駅に改称。 9月18日:松本駅 - 北松本駅間の旅客営業開始。南松本駅が松本駅に改称。 1917年(大正6年)10月13日:仏崎駅が廃止。 1919年(大正8年)7月10日:アルプス追分停留場が安曇追分停留場に改称。 1926年(大正15年)1月8日:松本駅 - 信濃大町駅間が電化。 4月14日:島高松停留場・南豊科停留場が開業。 9月30日:安曇追分停留場が駅に変更。 1930年(昭和5年)4月1日:営業距離をマイル表記からメートル表記に変更(21.8M→35.1km)。 10月28日:おかめ前停留場(現・北細野駅)が開業。 1931年(昭和6年)8月24日:青島停留場が開業。 1933年(昭和8年)6月23日:松本駅 - 北松本駅間に北松本臨時貨物積卸場が開業。 1934年(昭和10年)2月1日:昭和停留場(現・南大町駅)が開業。 1936年(昭和11年)10月26日:北松本臨時貨物積卸場が廃止。
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信濃鉄道
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「国鉄1225形蒸気機関車」の記事における「信濃鉄道」の解説
1920年製の製造番号20で、信濃鉄道では5形 (8) と称した。1938年1月、信濃鉄道の電化にともない尾花沢鉄道に譲渡され、同社の1(2代)となった。その後、尾花沢鉄道は戦時統合により山形交通尾花沢線となり、当機も引き継がれた。1952年(昭和27年)のディーゼル機関車導入後も予備機として残り、1959年(昭和34年)11月に廃車。翌年春に解体された。
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