信濃赤木氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 05:25 UTC 版)
桓武平氏流秩父氏の一族で、平武基の孫の秩父忠兼が信濃国筑摩郡白河郷(現・長野県松本市大字寿豊丘字白川)に移住して白河氏を称した。その二男・親忠が隣接する赤木郷(現・同市大字寿小赤字赤木)に分家して赤木氏を称したとされる。鎌倉時代の承久3年(1221年)親忠の子・忠長が承久の乱の勲功で備中国川上郡穴田郷(現・岡山県高梁市宇治町穴田)を恩賞として賜り、新補地頭として移住し、その後発展した。その時に持参した『赤韋威鎧(あかがわおどしよろい)』は国宝に指定されている、 現在赤木姓は、宮崎県や岡山県に多く見られる姓で、俳優の赤木春恵も、この流れを自称する。
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