ビアリッツ【Biarritz】
ビアリッツ【ビアリッツ】(草花類)
※登録写真はありません | 登録番号 | 第8038号 |
登録年月日 | 2000年 3月 30日 | |
農林水産植物の種類 | きく | |
登録品種の名称及びその読み | ビアリッツ よみ:ビアリッツ |
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品種登録の有効期限 | 20 年 | |
育成者権の消滅日 | ||
品種登録者の名称 | デリフローラ ロイヤルティーズ社 | |
品種登録者の住所 | オランダ王国 2676 BS マースダイク コート クルスウェッグ 157 | |
登録品種の育成をした者の氏名 | マーク ローランド ボーダー | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は,育成者所有の育成系統どうしを交配して育成されたものであり,花は淡紫ピンク色のやや小輪で,切花向きの品種である。草型は直立性,草性は高性,開花時の草丈は中である。茎の太さは中,色は緑,強さは中,中空の程度は小,摘心後の分枝性及び側らいの発生程度は中,節間長はやや短である。葉身長及び葉幅は中,葉の縦横比はやや小,葉柄の長さは長,一次欠刻は中,表面及び裏面の色は濃,毛じの多少は中,光沢度は強,厚さはやや厚,硬さは硬,葉柄の着生角度は上向き,たく葉の有無は殆どの葉に付着,形は2深裂,大きさは中,分布状態は主として両側に付着するである。花房の形は円錐形,花の大きさはやや小,厚みはかなり低,舌状花の重ねは1.5列まで,舌状花数は少である。管状花部の直径は小,管状花数は中,分布は集中,長さは小である。花弁の形はさじ弁,先端の形は丸い,花弁の長さはやや小,幅は狭,外花弁の表面の色は淡紫ピンク(JHS カラーチャート9501),裏面の色は赤紫(同9214),舌状花表面の色の分布状態は均一,外花弁の角度は上向き,花盤の色は黄緑,花たくの形は盛り上がったドーム状,大きさ及び総ほうの大きさはかなり小,花首の太さは極細,長さは中,生態分類型は秋ギク,開花の早晩性は中である。「ウイング」と比較して,舌状花表面の色の分布状態が均一であること等で,「綾かざぐるま」と比較して,花の厚みが低いこと,外花弁の表面の色が淡紫ピンクであること等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は,1994年に育成者のほ場(オランダ王国)において,育成者所有の育成系統どうしを交配し,その実生の中から選抜,以後,増殖を行いながら特性の調査を継続し,1995年にその特性が安定していることを確認して育成を完了したものである。 |
ビアリッツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 15:15 UTC 版)
Biarritz | |
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行政 | |
国 | ![]() |
地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
県 (département) | ピレネー=アトランティック県 |
郡 (arrondissement) | バイヨンヌ郡 |
小郡 (canton) | 2 |
INSEEコード | 64122 |
郵便番号 | 64200 |
市長(任期) | Michel Veunac (2014年 - 2020年) |
人口動態 | |
人口 | 30 055人 (1999年) |
人口密度 | 2576人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯43度28分54秒 西経1度33分22秒 / 北緯43.481667度 西経1.556111度座標: 北緯43度28分54秒 西経1度33分22秒 / 北緯43.481667度 西経1.556111度 |
標高 | 平均:?m 最低:0m 最高:85m |
面積 | 11.66km2 (1 166ha) |
ビアリッツ(フランス語:Biarritz、ガスコーニュ語:Biàrritz、バスク語:Miarritze)は、フランス南西部、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ピレネー=アトランティック県の町規模のコミューンで、大西洋岸ビスケー湾に面している。19世紀以来、王族貴族の集うリゾート地として知られた。現在はサーフィンを楽しむ人々もやってくる。フランス領バスクのラブール地方に属する。バイヨンヌやアングレットとともにバイヨンヌ=アングレット=ビアリッツ都市圏共同体を形成している。
2019年の第45回先進国首脳会議/サミット開催都市である。(2019年8月25日-27日)[1]
歴史
12世紀以来、捕鯨を生業とする小さな漁村であった。18世紀から、海に面した環境が良いとして医師が勧めたことから、療養地となった。1854年、皇后ウジェニー・ド・モンティジョが別荘(現在のオテル・デュ・パレ)を建てたことから、にわかに脚光を浴びた。イギリス王家は定期的に休暇に訪れるようになった。イギリス女王ヴィクトリア、イギリス王エドワード7世、スペイン王アルフォンソ13世といった人々が、頻繁にビアリッツを訪問した。
下記のことばがある。
- 「私はビアリッツより魅力的でより素晴らしい場所をおよそ知らない」(ヴィクトル・ユーゴー)
- 「2つの浜辺のどちらをとるか人が躊躇するとき、その片方は常にビアリッツである」(サシャ・ギトリ)
1949年7月29日から8月5日、詩人・映画作家のジャン・コクトーらによって、初めての「作家の映画」の祭典である「呪われた映画祭」が開催された。翌1950年には第2回映画祭が開催され、その後は開催されていない。
姉妹都市
ビアリッツは6つの都市と姉妹都市関係を結んでいる[2]。
オーガスタ、アメリカ合衆国(1992年)
カスカイス、ポルトガル(1986年)
イクセル、ベルギー(1958年)
サラゴサ、スペイン(1977年)
ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ、スペイン(1997年)
サンタクルーズ、アメリカ合衆国(2022年)[3]
みどころ
- アジア美術館
- 海洋博物館
スポーツ
マリンスポーツとラグビーの盛んな街として知られている。波の高さのピークは秋から冬にかけてであるが、年間を通してサーフィンが可能であり、ヨーロッパ各国や世界各地からサーファーが訪れる。
- ビアリッツ・オランピック - 1913年創立のラグビークラブ。TOP14所属で、フランス選手権優勝5度の名門。
註
- ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/ec/page23_002901.html
- ^ Jumelages, Biarritz
- ^ Sister Cities Committee, City of Santa Cruz
外部リンク
「ビアリッツ」の例文・使い方・用例・文例
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