日本での略歴
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1947年(昭和22年)「労働基準法」第75条「療養補償」、「労働基準法施行規則」第35条「業務上の疾病」 1972年(昭和47年)「労働安全衛生法」第69条「健康教育等」、第70条「体育活動等についての便宜供与等」、第70条の2「健康の保持増進のための指針の公表等」 1988年(昭和63年)「事業場における労働者の健康保持増進のための指針(健康の保持増進のための指針公示第1号)」 1999年(平成11年)「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針(精神疾患への労働災害認定の判断指針)」 精神疾患による自殺への労働災害認定に関する行政通達(労働省労働基準局通達) 2000年(平成12年)「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針(旧指針。現在廃止)」 「電通事件」が最高裁判所判決により安全配慮義務違反認定(過労⇒うつ病⇒自殺の因果関係と、企業側に債務不履行認定。損害賠償額:約1億6,800万円) 2005年(平成17年)セクシャルハラスメントによる精神疾患への労働災害認定に関する行政通達(厚生労働省労働基準局通達) 2006年(平成18年)「自殺対策基本法」第5条「事業主の責務」 「労働者の心の健康の保持増進のための指針(健康の保持増進のための指針公示第3号)」 2007年(平成19年)「自殺総合対策大綱」 「名古屋南労働基準監督署長事件(中部電力事件)」が名古屋高等裁判所判決により労働災害認定(ハラスメント⇒うつ病⇒自殺の因果関係認定) 2008年(平成20年)「労働契約法」第5条「労働者の安全への配慮」 労働契約法施行により今後は各企業・事業所側に労働者の心身両面への安全配慮義務が課せられる旨の行政通達(厚生労働省労働基準局通達) パワーハラスメントによる精神疾患への労働災害認定に関する行政通達(厚生労働省労働基準局通達) 2009年(平成21年)「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針(精神疾患への労働災害認定の判断指針)」改正 判断指針改正により今後は(男女ともに)各種ハラスメントによる精神疾患も労働災害認定に加えられる旨の行政通達(厚生労働省労働基準局通達) 2014年 - 労働安全衛生法が改正され、ストレスチェックが義務付けられた。 関連情報は「過労死#日本の事例」、「パワーハラスメント#事例」を参照
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日本での略歴
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「The Mighty Don't Kneel」の記事における「日本での略歴」の解説
2010年秋、WLWとプロレスリング・ノア共催のレスリング・キャンプのトライアウトにヘイストとニコルスともに合格。翌2011年2月21日に留学生としてノアへ来日し、合宿所に入寮。同年2月23日のSEM興行で、ヘイストとニコルスのパートナー対決で日本デビューを飾った。ツアーに帯同し、試合を行いながらセコンド・雑用もこなし、ノアのプロレスを学習した。ノアでもTMDKとして活動している。 ノア留学終了後も引き続きヘイストとニコルスとともにノアへ参戦を続け、セコンド・雑用を行いながら堅実に試合をこなしていき、常連外国人レスラーとなった。ノアでは当初はジュニアヘビー級タッグ戦線で活動していた。 他にもアメリカのROH、OVW、TNAなどにも二人揃って参戦経験がある。 2011年12月15日の後楽園ホール大会では、GHCジュニアヘビー級王者の鈴木鼓太郎&青木篤志に挑戦。敗北したが、圧倒的なコンビネーションや合体技が観客の好評を博し、王者組からその成長と、もう立派なノアの一員であると評価された。 その後体重の増加に伴い、ノアではヘビー級戦線へと転向。 2012年、ノアに入団した大型新人のエリック兄弟の日本デビュー戦の相手を務め、勝利。ノアで定着する若手外国人タッグチーム同士として先輩格にあたるため、今後両チームの熾烈な出世競争が予想される。 同年には、両者ともシングル戦線でも評価を上げ、グローバル・リーグ戦2012では優勝戦線にこそ残らなかったが、ニコルスは同大会優勝者のKENTAと引き分け、さらに優勝候補で当時のGHCタッグ王者の潮崎豪に勝利した。ヘイストは初戦で優勝候補の丸藤正道を破り、実力者で当時GHCタッグ王者の齋藤彰俊からも勝利を奪った。両者がそれぞれシングルでタッグ王者に勝利したことを受け、ニコルスとヘイストのタッグがノンタイトルではあるがGHCタッグ王者チーム齋藤&潮崎と対戦する事となり、12月16日の大阪松下IMPホール大会で対戦し、13分4秒、齋藤をニコルスがマイキー・ボムで下し勝利。一気にタッグ戦線のトップグループに踊り出た。 2013年2月にはジョナ・ロックがノアへ留学生として初来日し、3月には日本で初めてTMDKが3人揃い踏みとなり、勝利をあげた。 同年4月、ヘイスト&ニコルスのタッグがグローバル・タッグ・リーグ戦へ初出場する。 5月12日、後楽園ホールで開催されたノアの興行「方舟新章」で、ヘイストとニコルスがノアへ入団し、同団体の正式所属となった事が報告された。同興行のセミファイナルで、GHCタッグ王者の新日本プロレス・飯塚高史&矢野通にヘイスト&ニコルスが挑戦。攻勢なるも反則ファイトに翻弄され逆転敗退となった。 7月7日、有明コロシアムで行われた「GREAT VOYAGE 2013 in Tokyo 七夕決戦 ~みんなの願い~」で飯塚&矢野と再戦し、勝利。GHCタッグ王座を奪取した。 また、「日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦」に新メンバーのスレックスが参戦した。 2013年プロレス大賞 最優秀タッグ賞をニコルス&ヘイストが受賞。この賞を外国人コンビが受賞するのは1998年のスタン・ハンセン&ベイダー以来2組目。 2014年1月25日大阪大会で森嶋猛&マイバッハ谷口組に敗れGHCタッグ王座から陥落。超危暴軍のラフファイトを批判し抗争となる。
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