政治学・法学
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プラトンが、若い頃から一貫して政治・国制・法律に対する強い関心を持ち続け、晩年に至るまでその考察を続けていたこと、また、彼にとって政治と哲学は不可分な関係にあり、両者の統合を模索し続けていたことは、彼の一連の著作の内容や『第七書簡』のような書簡の文面からも明らかである。 アテナイにおける三十人政権や、その後の民主派政権の現実を目の当たりにして、現実政治に幻滅し、直接関わることは控えていたが、そんな30代で書いた初期の『ソクラテスの弁明』『クリトン』でも既に、国家・国制・法律のあるべき姿を描こうとする姿勢が顕著であり、『ゴルギアス』においては、真の「政治術」とは、「弁論術」(レートリケー)のような「迎合」ではなく、「国民の魂を善くする」ことであらねばならず、ソクラテスただ1人のみが、そうした問題に取り組んでいたのだということを、描き出している。 このように、プラトンは当初から政治と哲学の統合を模索しており、中期以降に示される「哲人王」思想や、後にアカデメイアの学園として実現される同志獲得・養成の構想を、この頃既に持っていたことが、『第七書簡』でも述べられている。そして、第一回シケリア旅行にて、シュラクサイのディオンという青年に出会い、彼に自分の思想・哲学を伝授したことをきっかけとして、後にシュラクサイという現実国家の改革(及び内紛)にも、実際に携わっていくことになる。 プラトンの著作の中で群を抜いて圧倒的に文量の多い二書、10巻を擁する中期の『国家』と、12巻を擁する後期末の『法律』、この二書はその題名からも分かるように、いずれも国家・国制・法律に関する書である。こうしたところからも、プラトンがいかにこの分野に強い志向・情熱を持っていたかが伺える。 この二書はいずれも、「議論上で、理想国家を一から構築していく試み」という体裁が採られている。 『国家』では、「哲人王」思想が披露される他、 「優秀者支配制」(アリストクラティア) - 「理知」優位 「名誉支配制」(ティモクラティア) - 「気概」優位 「寡頭制」(オリガルキア)- (富への)「欲望」優位 「民主制」(デモクラティア) - (自由への)「欲望」優位 「僭主独裁制」(テュランニス) という5つの国制の変遷・転態の様を描いたり、「妻女・子供の共有」や、俗に「詩人追放論」と表現されるような詩歌・演劇批判を行っている。 (なお、『国家』と『法律』の中間には、両者をつなぐ過渡的な対話篇として、後期の『政治家』がある。ここでは、現実の国制として、 「王制」(バシレイア) - 法律に基づく単独者支配 「僭主制」(テュランニス) - 法律に基づかない単独者支配 「貴族制」(アリストクラティア) - 法律に基づく少数者支配 「寡頭制」(オリガルキア) - 法律に基づかない少数者支配 「民主制」(デモクラティア) - 多数者支配(法律に基づくか否かでの区別無し) が挙げられ、 上記の諸国制とは異なる、知識・技術と善への志向を持った「哲人王」による理想政体実現の困難さ 法律の不十分性と有用性 上記の現実的国制の内、法律が順守された際には、「単独者支配」「少数者支配」「多数者支配」の順でマシな体制となり、逆に、法律が軽視された際には、「多数者支配」「少数者支配」「単独者支配」の順でマシな体制となる 法律遵奉時法律軽視時最良単独者支配(王制) 多数者支配(民主制) 中間少数者支配(貴族制) 少数者支配(寡頭制) 最悪多数者支配(民主制) 単独者支配(僭主制) などが述べられ、現実的な「次善の国制」が模索されていく。) 『法律』では、その名の通り、専ら法律の観点から、より具体的・実践的・詳細な形で、各種の国家社会システムを不足なく配置するように、理想国家「マグネシア」の構築が進められる。第3巻においては、アテナイに代表される民主制と、ペルシアに代表される君主制という「両極」の国制が、いずれも衰退を招いたことを挙げ、スパルタやクレタのように、両者を折衷した 「混合制」 が望ましいことが述べられる。第10巻においては、無神論批判と敬神の重要性が説かれる。最終第12巻では、国制・法律の保全と、それらの目的である「善」の護持・探求のために、『国家』における「哲人王」に代わり、複数人の哲人兼実務者から成る「夜の会議」が提示され、話が終わる。 なお、アリストテレスは、『政治学』の第2巻において、上記二書に言及し、その内容に批判を加えているが、他方で、「善」を国家の目的としたり、プラトンを踏襲した国制の比較検討をするなど、プラトンの影響も随所に伺わせている。
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政治学、法学
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彼は、社会契約説によって、ロバート・フィルマーの家父長的な政治理論に基づく王権神授説を否定し、自然状態を「牧歌的・平和的状態」と捉えて、公権力に対して個人の優位を主張した。自然状態下(State of Nature)において、人は全て公平に、生命(life)、健康(health)、自由(liberty)、財産(所有- Possessions)の諸権利を有する。誰もが自由であり、誰もが他の者の諸権利に関与する権限はない。しかしそうなってしまうと、今度はこの自然状態が故に不都合が生じてしまう。たとえ犯罪が起きようと、誰もその犯罪者を逮捕、拘束できず、そして裁くこともできない。また、仮にある人間が判事を勤めても、近親者の犯した犯罪の場合、人間がいかに公正無私に判断を下せるか疑問を呈した。つまり、自然状態の不都合により、社会が混沌としてしまうとロックは考えたのである。そのためにロックは我々自身をこの不都合な自然状態から守るために、政府が必要だと考えた。政府は諸国民の「承認」によって設立されるとした。諸国民のこの三権を守るために存在し、この諸国民との契約によってのみ存在する。我々は我々の保有する各個の自然権を一部放棄することで、政府に社会の秩序を守るための力を与えたのである。言い換えれば、政府に我々の自然状態下における諸権利に対する介入を認めたのである。 政府が権力を行使するのは国民の信託 (trust) によるものであるとし、もし政府が国民の意向に反して生命、財産や自由を奪うことがあれば抵抗権をもって政府を変更することができると考えた。抵抗権の考え方はのちにヴァージニア権利章典に受け継がれていく。 その他にも政教分離を説くなど、現実主義的な考えを展開している。 ロックの権力分立論は、ハリントンの提唱した権力分立制を発展させたものであるが、社会契約論とも密接に結び付いている。国家は「始源的契約」(original compact)によって成立したものであるが、政府は、自然権を保障するため、人民の信託に基づき設立されたものであるから、社会契約には一定の「契約の条件」があり、自然権を保証するための手段として権力分立を採用しなければならないとしたのである。ロックは、立法権と行政権の分離を説き、対内的な立法権を執行権、対外的な行政権を外交権(連合権)と呼んだが、ロックの権力分立論は各権が平等でなく、立法権を有する国会が最高権を有するものとされ、名誉革命に基づく現実的な立憲君主制を擁護するための理論であった。 これがのちのモンテスキューによる三権分立論(司法権・立法権・行政権)にまで発展する。
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