第一回シケリア旅行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 19:59 UTC 版)
この後、紀元前388年(-紀元前387年)、39歳頃、プラトンはアテナイを離れ、イタリア、シケリア島(1回目のシケリア行)、エジプトを遍歴した。この時、イタリアでピュタゴラス派およびエレア派と交流をもったと考えられている。また、20歳過ぎの青年ディオンに初めて会ったのも、この時である。 『ギリシア哲学者列伝』第3巻第1章18節-21節には、この際プラトンは、シュラクサイの僭主ディオニュシオス1世(下述するディオニュシオス2世の父)とも交際したが、口論となって僭主の機嫌を損ね、ラケダイモン(スパルタ)人へと売り飛ばされ、アイギナ島で死刑か奴隷売買の危機に遭ったが、キュレネ派のアンニケリスに救われたという説が紹介されているが、真相は定かではない。
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