第一回の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:55 UTC 版)
「第1回東京国際映画祭」の記事における「第一回の評価」の解説
諸問題、細かい不備はたくさんあり、多くの課題を残したが、大きなトラブルもなく、岡田茂、瀬島龍三をはじめ、イベントに加わった多くの人、映画人の熱意に好感が持たれ、苦労が実り、期間中渋谷地区に予想以上の10万人以上の人を集め大成功と評された。 作品選定にごった煮の感はあったものの、各企画とも専門の独立したプロデューサーが、それぞれの判断で個性的な作品を選び、質的にも粒ぞろいでこれだけの映画をよく集めたと評された。どの会場も熱心な映画ファンで埋まり、多くの映画で上映の前後に監督や俳優と観客の質疑応答があり、各企画ごとの司会が頑張って中身の濃いやりとりもあり、観客も満足していたという。東欧などの比較的地味な映画にも中高年層が集まり、本当に良い映画を見たいという潜在的な映画ファンがまだたくさんいるという認識も持たれ映画関係者も勇気づけられた。国際映画祭のお目付け役として来日していたアルフォンス・ブリッソン国際映画製作者連盟事務局長は「映画人たちは前向きだったし、会場は申し分ないし、若い観客は生き生きしていて、ひとつひとつは完璧だった。そこには確かに祭りの雰囲気はあった。しかしホテルが散らばっていて会場から遠いこともあって、祭りの本来の一体感に欠けていたと思う。今後は祝祭空間を集中させることが課題でしょう」などと述べ、ホテルと会場の分散は外国人客に不評だった点、作品数が多すぎ、全ての作品が一回きりでの上映で、映画ファンは困惑した。「ヤングシネマ85」と「日本映画の昨日と今日」は全て英語字幕が付いたが、他の作品は日本語字幕だけ、世界の映画を見に意気込んでやって来た招待客は戸惑った、通訳も色々な国から人が来過ぎてとても追いつかなかったなどの指摘があった。映画祭の後、遅すぎた感はあるが、文化庁も映画の危機への深い憂慮を示し、「映画芸術の振興に関する懇談会」を発足させた。 第一回開催から一年数ヵ月後に日本映画復興会議が「映画を国民の手にとり戻すために―映画産業の民主姿勢を目指す白書」をまとめており、同書の中に東京国際映画祭について触れている箇所があり、それは「1985年の筑波での『科学万博』は改めて『高度情報社会』における映像情報の圧倒的優位を見せつけた。それは1970年の『大阪万博』のそれをさらに上回る。そして氾濫する映像情報の支配者が既成の映画産業ではなく、日本を支配する大企業、政財界そのものであることを改めて見せつけた。瀬島龍三を組織委員長とする『東京国際映画祭』のありようも同様であった。既成の映画産業は、テレビなどの放送産業とともにニューメディアを軸とする新しい巨大情報産業の下請け的存在に追い込まれつつあるといえる」というものだった。
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