投宿した主な文人
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東屋には宿帳をはじめ重要な記録類は一切遺っていない。以下の人々については、小山文雄の文人の日記や書簡を永年にわたって調査した結果が『個性きらめく』、『続個性きらめく』、『神奈川近代文学年表〈明治編〉』、『神奈川近代文学年表〈大正・昭和前期編〉』に掲載されているものを基本に整理したものである。 明治時代広津柳浪(1897年)小説『くされ縁』を執筆。 小泉八雲(1898年)家族と共に東屋に3週間滞在。 斎藤緑雨(1900年)結核療養のため東屋に長期滞在。『日記』を残す。翌年、東屋の仲居金澤タケ(フミ)を伴い、鵠沼を後にフミの実家のある小田原に発つ。小田原で結婚。 與謝野寬(1901年)斎藤緑雨を訪ねる。 徳冨蘆花(1901年)滞在中の斎藤緑雨を訪ねる。その前の『おもひ出の記』取材の際は「鵠沼館」に止宿。 馬場孤蝶(1901年)滞在中の斎藤緑雨を訪ねる。 高山樗牛(1902年)結核療養のため東屋に短期滞在。病状悪化から平塚の杏雲堂病院に10月25日に入院し、2か月後没。 武者小路実篤(1906年、1907年、1912年) 志賀直哉(1907年、1911年)1907年、武者小路実篤と東屋に滞在して『白樺』発刊を相談。 石橋思案・川上眉山・武内桂舟・久我亀石・巖谷小波・細川風谷・広津柳浪(1908年)、文学結社硯友社一行、東屋へ遠足。 今井達夫(1909年)(5歳)、父親の療養のため、両親と共に鵠沼「東屋旅館」の貸別荘で過ごす。 里見弴・中村貴之(1909年)里見が「白樺」に連載した「君と私と」(のち「君と私」に改題)にその一夏のことを書いている。さらに、1920年雑誌「改造」に連載した『潮風』はこの一夏の思い出を下敷きにした中編小説である。 谷崎潤一郎(1911年)『悪魔』を執筆。翌年にも滞在。 久保田万太郎(1912年、1917年)祖母を連れて滞在、『末枯』を執筆。 大正時代(震災前)志賀直哉(1912年)一家で鵠沼に遊び、後に小品『鵠沼行』として発表。 武者小路実篤(1914〜1915年)戯曲『その妹』の執筆を開始以後鵠沼海岸別荘地の貸別荘(芳藤園、川元別荘)を借りる。 有島武郎(1915年)東屋で武者小路実篤に会う。 芥川龍之介(1918年)滞在中の谷崎潤一郎のもとに泊まる。 谷崎潤一郎(1918年)東屋の亭にせい子と滞在。小説『金と銀』『小さな王国』を執筆。 佐藤春夫(1918年、1921年)1918年は芥川龍之介と谷崎潤一郎を訪問。1921年は『都会の憂鬱』を執筆。 宇野浩二(1920年、1921年、1922年)東屋で執筆。 武林無想庵(1920年)『性欲の触手』を執筆。 中平文子(1920年)中央新聞の記者中平文子は内藤千代子の紹介で武林無想庵と出会い、東屋で結婚。 與謝野寬・與謝野晶子・北原白秋・西村伊作(1920年)12月9日に連れだって泊まり、歌作を愉しんだ。 吉屋信子(1921年)『海の極みまで』を書きつぐ。吉屋信子の定宿は東屋北方の「中屋」で、東屋止宿はこの時のみ。 大杉栄(1921〜1922年)結核療養のため滞在して『自叙伝』を書き始める。吉屋信子と面会。 江口渙(1921年)宇野浩二を追って東屋にくる。 徳田秋声(1920年、1921年)後に『私の見た人』を執筆。 芥川龍之介(1921年、1922年) 久米正雄(1922年) 北村初雄(1922年)東屋で静養。12月2日、東屋にて病没。 震災以後久米正雄(1924年)東屋に滞在。作品を執筆。できたばかりのテニスコートで長谷川欽一とプレーしている写真がある。 馬海松(マ・ヘソン、雑誌記者、1924年)久米正雄の原稿受け取りに東屋を訪れ、文藝春秋1925年1月号に『鵠沼行』を発表。 芥川龍之介(1926年)滞在。『追憶』を発表し始める。『鵠沼雑記』に東屋が登場。後に東屋貸別荘に借家。以後翌年1月ごろまで鵠沼を生活の本拠とする。『蜃気楼』に東屋が登場。 芥川也寸志(嬰児期、1926年) 蒲原春夫(1926年)東屋に芥川龍之介を訪ねる。 古木鉄太郎(1926年)「改造」の編集記者、東屋に滞在中の芥川龍之介から原稿を受け取る。 神崎清(1926年)東屋に芥川龍之介を訪ねる。 山本実彦(1926年)芥川龍之介を訪ねる。 小穴隆一(洋画家、1926年)東屋「イ-2号」に居住(龍之介の親友で『蜃気楼』O君のモデル)。 堀辰雄(1926年)芥川龍之介を訪問。 小澤碧童(1926年)小穴隆一と芥川龍之介を見舞う。 斎藤茂吉・土屋文明(1926年)スルガランを手土産に連れだって芥川龍之介を見舞う。 恒藤恭(法哲学者で龍之介の親友、1926年)芥川龍之介と面会。 菊池寛(1926年)芥川龍之介と面会。 葛巻義敏(龍之介の甥。1926年)龍之介の二階家に来て一緒に泊まる。 羽仁説子(1926年)東屋で転地療養。 土方与志(演出家、長谷川路可の友人、1928年)東屋に滞在して結核療養。 宮本百合子・湯浅芳子(1930年) 武者小路実篤(1935年、1938年、1939年、1940年=廃業後)東屋に滞在して執筆。 川端康成(1936年)東屋に滞在。少女小説『花のワルツ』を執筆。 白井喬二(1958年)旧東屋の別館を借り受け、「江望荘」と名付けて3年間執筆活動しながら静養生活。これらの他に広津和郎、佐佐木茂索、大佛次郎、岸田劉生、内藤千代子も東屋来訪の記録があるが、止宿したかどうかが判明しない。
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