投宿した主な文人とは? わかりやすく解説

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投宿した主な文人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 01:37 UTC 版)

旅館東屋」の記事における「投宿した主な文人」の解説

東屋には宿帳をはじめ重要な記録類一切遺っていない。以下の人々については、小山文雄文人日記書簡永年わたって調査した結果が『個性きらめく』、『続個性きらめく』、『神奈川近代文学年表明治編〉』、『神奈川近代文学年表大正・昭和前期編〉』に掲載されているものを基本整理したのである明治時代広津柳浪1897年小説『くされ縁』を執筆小泉八雲1898年家族と共に東屋に3週間滞在斎藤緑雨1900年結核療養のため東屋長期滞在『日記』を残す。翌年東屋仲居金澤タケフミ)伴い鵠沼を後にフミ実家のある小田原に発つ。小田原結婚與謝野寬1901年斎藤緑雨訪ねる徳冨蘆花1901年滞在中の斎藤緑雨訪ねる。その前の『おもひ出の記』取材の際は「鵠沼館」に止宿馬場孤蝶1901年滞在中の斎藤緑雨訪ねる高山樗牛1902年結核療養のため東屋短期滞在病状悪化から平塚杏雲堂病院10月25日入院し、2か月後没。 武者小路実篤1906年1907年1912年志賀直哉1907年1911年1907年武者小路実篤東屋滞在して白樺発刊相談石橋思案川上眉山武内桂舟久我亀石巖谷小波細川風谷広津柳浪1908年)、文学結社硯友社一行東屋遠足今井達夫1909年)(5歳)、父親療養のため、両親と共に鵠沼東屋旅館」の貸別荘で過ごす。 里見弴中村貴之1909年里見が「白樺」に連載した「君と私と」(のち「君と私」に改題)にその一夏のことを書いている。さらに、1920年雑誌改造」に連載した潮風』はこの一夏思い出下敷きにした中編小説である。 谷崎潤一郎1911年)『悪魔』を執筆翌年にも滞在久保田万太郎1912年1917年祖母連れて滞在、『末枯』を執筆大正時代震災前志賀直哉1912年一家鵠沼遊び、後に小品鵠沼行』として発表武者小路実篤(1914〜1915年戯曲『その妹』の執筆開始以後鵠沼海岸別荘地貸別荘(芳園、川元別荘)を借りる。 有島武郎1915年東屋武者小路実篤に会う。 芥川龍之介1918年滞在中の谷崎潤一郎のもとに泊まる谷崎潤一郎1918年東屋の亭にせい子と滞在小説金と銀』『小さな王国』を執筆佐藤春夫1918年1921年1918年芥川龍之介谷崎潤一郎訪問1921年は『都会の憂鬱』を執筆宇野浩二1920年1921年1922年東屋執筆武林無想庵1920年)『性欲触手』を執筆中平文子1920年中央新聞記者中平文子内藤千代子紹介武林無想庵出会い東屋結婚與謝野寬與謝野晶子北原白秋西村伊作1920年12月9日に連れだって泊まり、歌作を愉しんだ。 吉屋信子1921年)『海の極みまで』を書きつぐ。吉屋信子定宿東屋北方の「中屋」で、東屋止宿はこの時のみ。 大杉栄19211922年結核療養のため滞在して自叙伝』を書き始める。吉屋信子面会江口渙1921年宇野浩二追って東屋にくる。 徳田秋声1920年1921年)後に『私の見た人』を執筆芥川龍之介1921年1922年久米正雄1922年北村初雄1922年東屋静養12月2日東屋にて病没震災以後久米正雄1924年東屋滞在作品執筆。できたばかりテニスコート長谷川欽一とプレーしている写真がある。 馬海松(マ・ヘソン、雑誌記者1924年久米正雄原稿受け取り東屋訪れ文藝春秋1925年1月号に『鵠沼行』を発表芥川龍之介1926年滞在。『追憶』を発表し始める。『鵠沼雑記』に東屋登場。後に東屋貸別荘借家以後翌年1月ごろまで鵠沼を生活の本拠とする。『蜃気楼』に東屋登場芥川也寸志嬰児期、1926年蒲原春夫(1926年東屋芥川龍之介訪ねる古木太郎1926年)「改造」の編集記者東屋滞在中の芥川龍之介から原稿受け取る。 神崎清1926年東屋芥川龍之介訪ねる山本実彦1926年芥川龍之介訪ねる小穴隆一洋画家1926年東屋「イ-2号」に居住(龍之介親友で『蜃気楼』O君のモデル)。 堀辰雄1926年芥川龍之介訪問小澤碧童1926年小穴隆一芥川龍之介見舞う。 斎藤茂吉土屋文明1926年スルガラン手土産に連れだって芥川龍之介見舞う。 恒藤恭法哲学者龍之介親友1926年芥川龍之介面会菊池寛1926年芥川龍之介面会葛巻義敏龍之介の甥。1926年龍之介二階家来て一緒に泊まる羽仁説子1926年東屋転地療養土方与志演出家長谷川路可友人1928年東屋滞在して結核療養宮本百合子湯浅芳子1930年武者小路実篤1935年1938年1939年1940年廃業後東屋滞在して執筆川端康成1936年東屋滞在少女小説花のワルツ』を執筆白井喬二1958年旧東屋の別館借り受け、「江望荘」と名付け3年執筆活動しながら静養生活。これらの他に広津和郎佐佐木茂索大佛次郎岸田劉生内藤千代子東屋来訪記録があるが、止宿たかどうかが判明しない

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