鵠沼海岸別荘地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 09:00 UTC 版)
鵠沼地区南東部の相州炮術調練場(鉄炮場)跡地は、ほとんど不毛の砂原であったが、明治中期に約25万坪といわれる広大な土地を入手したのが大給松平家の府内藩主の末裔、大給近道子爵である。宮内省に勤めていた彼は、この土地を御用邸用地に考えていたとも伝えられる。御用邸用地が葉山に決定すると、大給家の差配人木下兄弟と旅館東屋の創業者伊東将行は、この砂原に1町(約100m)間隔の道路を敷設して土地を区切るとともにクロマツを植栽し、別荘地として売り出した。これだけまとまった計画的別荘分譲地の開発は、日本でも初めての例である。
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