記録類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 05:07 UTC 版)
当線については、計画から建設までに関わった南満州鉄道社員・中川久明が回顧録として記録を残している。ほか、日中合弁事業であったことから、外務省にも記録が残されている。なお直接的な資料は、中川が退職の際に会社の機密に関わることとして全て焼却処分してしまっており、存在しない。 中川久明「満鉄培養線のトップ」 南満州鉄道編『満洲鉄道建設秘話』(南満州鉄道刊・1939年)所収。権太親吉から計画を打ち明けられ、計画書を作ることになって以降、開業までの顛末を記している。石本鏆太郎との確執や、中国側の官吏・警察との衝突とそれを排除しての建設強行などの一部始終が記されている。中川は経営に参画しなかったため、これ以降のことに関しては外務省の資料を頼る必要がある。
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記録類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/30 04:27 UTC 版)
当線についてはかつて馭者を務めた桜井万造という人物に対し、1975年に綿密な聞き取り調査が行われており、記録類が充実している。 『狭山市史』通史編2・近代資料編前者では第三章第三節に「入間馬車鉄道の開業」という項が設けられ、上述の桜井万造からの聞き取り調査の内容に、会社の設立経緯・経営状態の推移を肉付けして22頁の記述がなされている。後者には上広瀬の元重役宅に残されていた営業報告書や各種の内部書類を中心に経営状況を示す資料が収録されている。 『万造じいさんの馬車鉄夜ばなし』桜井万造への聞き取り調査の際の録音テープを活字に起こした本で、『狭山市史』に収録されなかったこぼれ話などを読むことが出来る。
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記録類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/20 05:41 UTC 版)
当線については入間馬車鉄道ほどの記録はないものの、郷土史研究家による研究や郷土資料にいくつか見ることが出来る。 中田亙「中武馬車鉄道路線跡を訪ねて」中田亙「中武馬車鉄道のあゆみ」 多摩信用金庫のメセナ団体である財団法人たましん地域文化財団の機関誌『多摩のあゆみ』に掲載された当馬車鉄道に関する研究。公文書や営業報告書など豊富な資料を用い、当馬車鉄道を詳細に追いかけている。 桜井万造他『万造じいさんの馬車鉄夜ばなし』 入間馬車鉄道の馭者であった桜井万造への聞き取り調査の際の録音テープを活字に起こした本。基本的に入間馬車鉄道の話であるが、一部に中武馬車鉄道の記述がある。
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記録類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 00:05 UTC 版)
当線関係資料は、調査・計画の当事者である大阪市電気局→大阪市交通局が保管することになり、かつては公文書として大阪市公文書館で閲覧が可能であった。(現在は大阪市交通局の民営化に伴い、簿冊が引き上げられている。)文書中に「贈呈」と何度か書かれているため、複本がいくつか関係機関に納入されたと思われるが、いずれも行方不明である。 大阪市電気局高速鉄道部編『奉天市地下鉄道計画書』 当線の企画・調査書。本来は7巻組であるが、現在は4巻が失われて1-3巻・5-7巻のみが残されている。1巻が総論と計画概要であり、ここに路線計画・建設計画・運行計画など全ての概要が記されている。2巻以降は駅・トンネルなど構造物、配線や保安設備・運行設備などの詳細と添附の図面集である。当計画に関する唯一の文献であり、ここに書かれていることが現在知られ得る全てである。
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