訛里朶とは? わかりやすく解説

訛里朶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/15 06:39 UTC 版)

訛里朶(オリド)
続柄 太祖阿骨打五男

全名 完顔宗輔→宗堯
称号 睿宗、立徳顕仁啓聖広運文武簡粛皇帝
出生 寿昌2年(1096年
死去 天会13年5月11日1135年6月24日
埋葬 景陵(大房山)
配偶者 正室:欽慈皇后 蒲察氏
  側室:貞懿皇后 李氏
  側室:高巧姝
子女 烏禄(ウル、第5代皇帝世宗)、吾里補、楚国公主、冀国公主ほか
父親 太祖阿骨打
母親 宣献皇后 僕散氏
テンプレートを表示

訛里朶(オリド、寿昌2年(1096年) - 天会13年5月11日1135年6月24日))は、皇族。漢名は宗輔、後に宗堯。初代皇帝の太祖阿骨打(アクダ)の五男。

経歴

景陵の墓石

妃の僕散氏(宣献皇后)の子として生まれた。『金史』によると、威風凛々とした容貌の持ち主で、寛大で包容力があった。また、家臣たちに対して、恩顧を恵むような政務を行い人望が厚かった。

天会13年(1135年)に南宋へ討伐に赴いた時に、病を得て41歳で逝去した。訛里朶の死の報を聞いた家臣で泣かぬ者はなかったという。

後に長男の葛王烏禄(ウル)が暴君であった従兄の迪古乃(テクナイ、海陵王)を廃して第5代皇帝世宗として即位すると、亡父に対して睿宗廟号立徳顕仁啓聖広運文武簡粛皇帝諡号を贈り、大房山に丁重に葬って「景陵」と名付けた。

宗室

妻妾

子女

  • 葛王 烏禄(世宗)
  • 斉王 吾里補
  • 楚国公主
  • 冀国公主

その他多数


訛里朶(オリド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)

大水滸シリーズの登場人物」の記事における「訛里朶(オリド)」の解説

楊令伝)金の将軍で、阿骨打息子交易の利に興味抱き独断梁山泊商隊襲撃したが、李媛秦容らの抵抗遭い駆けつけ楊令大敗捕虜となる。兀朮命懸け交渉により釈放されるが、罰として北辺幽閉となる。自身を見つめ直した後に赦され、北方防衛担当経て兀朮部下として一軍率いる。幽閉中に撻懶縁者助けられたため、兄たち異なり撻懶好感抱いている。兀朮撻懶岳家軍交戦中の梁山泊軍挟撃し、先鋒務めるが呼延凌・秦容交戦中に楊令攻撃受けたため、戦死する

※この「訛里朶(オリド)」の解説は、「大水滸シリーズの登場人物」の解説の一部です。
「訛里朶(オリド)」を含む「大水滸シリーズの登場人物」の記事については、「大水滸シリーズの登場人物」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「訛里朶」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「訛里朶」の関連用語

訛里朶のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



訛里朶のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの訛里朶 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大水滸シリーズの登場人物 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS