戦後の闇市とは? わかりやすく解説

戦後の闇市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 00:26 UTC 版)

闇市」の記事における「戦後の闇市」の解説

一般的に日本の「闇市」として有名なものは、第二次世界大戦・太平洋戦争後連合国軍占領下の日本混乱期成立した商業形態である。なおこの種の市場終戦直後は「闇市」と蔑称呼ばれたが、その後国民生活に必要であるとの認識から「ヤミ市」と表現されるようになった終戦直後日本では兵役からの復員外地からの引揚げなどで都市人口増加したが、輸入途絶えた状態で政府統制物資がほぼ底を突き物価統制令下での配給制度麻痺状態に陥っていた。爆撃による交通網流通網の損壊により農村部抱え食料流通鈍化し都市部居住する人びと欲する食料物資圧倒的に不足していた。食料難は深刻を極め1945年昭和20年)の東京の上駅付近での餓死者は1日平均2.5人で、大阪でも毎月60人以上の栄養失調による死亡者出した1947年昭和22年)には法律守り配給のみ生活しようとした裁判官山口良忠餓死するという事件も起きている。 ほとんど全ての食料統制物資とした食糧管理制度の下では、配給以外に食料入手することは即ち違法行為だったのであるユニセフ占領軍主体となったアメリカ合衆国連邦政府によるララ物資もあったものの、不足を埋めるには到底至らず配給遅配相次ぐ事態となっていた。このため人びと満員列車に乗って農村へと買出しに出かけ、米やサツマイモヤミ物資背負って帰ったが、依然都市部人々食事雑炊続き「米よこせ運動」が各地勃発した敗戦後間もない1945年昭和20年11月1日に「餓死対策国民大会」が日比谷公園開催されている。翌年1946年昭和21年5月19日食糧メーデーには、25万人労働者参加して飯米獲得人民大会」が開催された。 このような状況の下で、戦時中強制疎開空襲による焼跡などの空地ヤミ市はじまった敗戦4日後の1945年昭和20年8月20日新宿駅東口開店した露天市がヤミ市第1号となったその後雨後のタケノコのように各地ヤミ市ができていく。東京都北区を例にすると、赤羽十条王子など強制疎開空地になっていた駅前広場ヤミ市立った最初はざるに野菜載せ石油缶に入れて売ったりし、物々交換のようなのだったそのうちみかん箱を置き雨戸載せて台にして、生活用品市のようになった。さらに一間四方くらいの店になり、うどんやおでん・カストリ焼酎などを売るようになった食物屋が大半であったが、日本軍連合軍からの放出品、或いは残飯なども上手に繰り回しされ、それらが飛ぶよう売れた。しかし食糧管理法はまだ生きていたので、配給以外で入手した食料当局によって没収された。 生活必需品不足しており、放出品や横流し品を販売する者も現れた。高専応用化学専攻していた辻信太郎サッカリン石鹸自作し販売するなど、自身能力活かして商売始める者もいた。 空地出店的屋テキヤ)などの組織地割取り仕切るようになり、ゴザや筵、よしず張りなどでお互い境界区切り地面品物並べる店や、台上品物並べる店のほか、食事や酒を提供する移動式屋台存在するようになった。やがて焼け残った廃材などでバラック建ての店が建設された。ただし空地でも所有者がいる土地建物建てるのは不法占拠であり、大阪府警察本部警察部長は、この不法占拠者には外国人(第三国人)が多く中には地主立ち退き要求される暴力行為に及ぶものや、法外な立ち退き料請求したものもあったと証言している。 こうした外国人暴力団の関与治安悪化させてしまい、その後在日外国人対す一定の見方醸成してしまったとする指摘もある。当時銃器を持たなかった警官隊武装した外国人暴力団対し無力であった一方1946年昭和21年8月1日大阪府警察本部よって行なわれ大阪闇市封鎖などは当を得ず、却って不足に喘ぐ庶民苦しめ結果となった1948年昭和23年9月29日最高裁判所大法廷判決出され食糧管理法違反事件では、ヤミ米購入し食糧管理法違反として検挙され配給食のみでは健康を維持できないので、日本国憲法第25条2項目の生存権反し食糧管理法自体違憲であるとして飛越上告をし争われた(判決そのものは、「個々国民に対して具体的、現実的にかかる義務有するのではない」として、食糧管理法生存権反しないとされた)。 同年10月主婦連合会発足する主婦たちはしゃもじ旗印とし、食料不足解消訴え活動開始した同年11月1日から主食配給は、2合7勺(380グラム)に増配され、人びと食生活落ち着き取り戻していった。1949年昭和24年4月1日には野菜統制撤廃され6月1日にはビアホール解禁になり、また東京飲食店再開された。1950年昭和25年4月1日水産物統制撤廃された。 同年12月1日大蔵大臣池田勇人答弁が「貧乏人は麦を食え」と誇張して報道され、いまだ白米が行き渡らぬ家庭反感を買うが、翌1951年昭和26年10月25日には麦の統制撤廃閣議決定された。これをもって米以外食品全て自由販売となり、ヤミ物資ではなくなった。同年12月東京都内常設露店廃止となり、いわゆるヤミ市姿を消した

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