戦後の顕彰
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戦後の1947年7月9日に巨人は沢村の功績をたたえて背番号14を日本プロ野球史上初の永久欠番に指定した。なお、沢村の退団から永久欠番指定までの間、今泉勝義と坂本茂が巨人の背番号14を使用していた。また、同年に沢村の功績と栄誉を称えて「沢村栄治賞」(沢村賞)が設立され、プロ野球のその年度の最優秀投手に贈られることとなった。 1959年に野球殿堂入り。1966年6月25日に第27回戦没者叙勲により勲七等青色桐葉章追贈。 東京ドームそばの「鎮魂の碑」に、石丸進一ら太平洋戦争で戦死したプロ野球選手とともに銘記されている。また、故郷に程近い伊勢市岩渕町一誉坊墓地に沢村の墓が建立されており、その墓石はボールを模した形で、前面に巨人の「G」、後面に沢村の背番号「14」が刻まれている。なお、2017年に沢村の墓は縁戚者の事情により、「墓じまい」が行われ、現在は記念碑として同墓地に現存している。 なお、2014年3月10日に沢村の故郷である三重県伊勢市の伊勢市倉田山公園野球場で65年ぶりに行われた阪神とのオープン戦において、原辰徳監督はじめ全選手が永久欠番「14」を付け、阪神はOBで沢村と同郷かつ、フィリピン防衛戦における戦死者である西村幸生の背番号「19」を全選手が付けて、沢村の一人娘である酒井美緒の始球式により試合が行われた。 2017年2月1日生誕100周年を迎えた。伊勢市では「沢村栄治生誕100周年記念事業」を銘打ち、3月20日~3月26日には「沢村栄治生誕100周年記念展」が、3月22日には再び倉田山球場で、巨人 - 北海道日本ハムのオープン戦が行われた。この試合でも、巨人は高橋由伸前監督はじめ全選手が永久欠番「14」を付けた。 沢村の御霊は御英霊の一人として、靖國神社及び故郷の三重県護国神社に祀られている。
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