戦後の館山飛行場
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1945年(昭和20年)8月15日 - 終戦。 8月28日 - 連合国軍総司令部から日本政府宛てに「占領軍本隊であるアメリカ陸軍第8軍の一部は9月1日に館山海軍航空隊に進駐」と打電。 8月31日 - アメリカ海兵隊員235名から成る占領軍の先遣隊が上陸。台風接近のため「上陸予定の第8軍の一部はその主力の上陸を館山においては9月3日に変更」と日本政府が発表。 9月3日 - 午前9時20分、アメリカ陸軍第8軍第11軍団第112騎兵連隊戦闘団約3,500人が上陸。司令官カニンガム准将は「米軍ニヨル館山湾地区ノ占領」と題された6項目から成る指令を発出。外務省館山終戦連絡委員会はアメリカ太平洋陸軍(AFPAC)司令官に対し抗議の覚書を提出、4日後の9月7日に軍政解除。 1948年(昭和23年)6月30日より1955年(昭和30年)8月1日まで千葉県立安房水産高等学校が当施設の一部を使用した。 1953年(昭和28年)9月16日保安庁館山航空隊開隊。以降は海上自衛隊館山航空基地を参照。
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