戦後まもなくのふみ子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:13 UTC 版)
終戦時、ふみ子は妊娠をしていた。1946年(昭和21年)3月11日、長女の雪子が生まれる。ふみ子は雪子の誕生後、1951年(昭和26年)に至るまで断続的に「雪子の日記」を書いている。「雪子の日記」の中では、夫が雪子を可愛がる姿や成長を願う短歌を詠んだ穏やかな家庭生活を記したものもある。しかし夫の博は職務上の不祥事が問題となって、1946年末には五稜郭出張所所長を解任されて札幌鉄道施設部に配属となった。 終戦後の食糧難と激しいインフレの中、ふみ子の家族の生活は厳しかった。雪子の日記には、博には借金があり、留萌にヤミでサッカリンを売りに行くなどといった記述が見られる。ふみ子の家庭には帯広の実家からの援助もあった。しかしそれだけでは生活が成り立たず、花嫁衣裳、嫁入り道具であったたんすなどを手放しながら、何とか生活していった。しかしそのような生活の中、夫の博は愛人を作っていた。その上、1947年(昭和22年)9月22日には三男の潔が誕生する。幼い子を抱え、実家からの援助や花嫁衣裳を手放しながら、日々のやりくりに四苦八苦する中での夫の不貞は、ふみ子と夫との距離を更に広げていった。
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