富田茶臼山古墳とは? わかりやすく解説

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富田茶臼山古墳

名称: 富田茶臼山古墳
ふりがな とみたちゃうすやまこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 香川県
市区町村 さぬき市大川町
管理団体
指定年月日 1993.07.26(平成5.07.26)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 富田茶臼山古墳は香川県東部長尾平野東端位置する四国地方最大前方後円墳である。南方讃岐山脈阿讃山脈)から派生した丘陵縁辺部に立地し丘陵稜線直交するように前方部西方向けて築造されている。後円部に立つと長尾平野一望でき、弘法大師ゆかりの五剣山や、高松平野との結節点聳える白山遠望することができる。
 古墳北側には津田川流れ蛇行しつつ東流し播磨灘に開く津田湾に流入している。その河口津田港は中・近世商業港として知られているが、津田湾を望む山丘上には東讃地域代表する前期古墳数多く分布し津田湾が海上交通拠点として古くから重視されたことを物語っている。本古墳津田湾から長尾平野に至る要点占め津田湾を掌握し高松平野連なる長尾平野治めた被葬者支配領域と経済基盤推測される
 本古墳に関しては、江戸時代の『三代物語』が日本武尊陵と記し、『全讃史』は仁徳天皇陵もしくはその皇子である難波皇子墳墓推定している。後者当地『和名抄』にみえる寒川難破郷に比定されることに由来し、さらに寒川皇子讃岐国造の祖とされる神櫛皇子墳墓とする説もある。円筒埴輪存在古くから知られ地元では千壺山とも呼ばれている。後円部頂上には妙見神社祀られ後円部東端には中世石仏祀る弥勒庵」が存在する古墳は、昭和10年代県道高松長尾大内線建設によって後円部北側掘削されその後開墾住宅建設によって前方部墳丘裾部に改変受けているが、総じて旧状をよくとどめている。
 平成元年度に大川町教育委員会によって古墳確認調査実施され墳丘周濠規模形態明らかになった。
 古墳前方部後円部ともに3段に築成されている。墳丘全長139メートル規模をもち、後円部の高さは15・7メートルで、前方部比べる2・4メートルほど高い。後円部直径91メートル前方部長さ四八メートル前方部の幅77メートルで、前方部長さ後円部比べて短い点に形態上の特徴がある。段築斜面長は、後円部が下から1対1対3前方部同様に1対1対2の比率をもち、畿内大型前方後円墳共通した築造企画認められる段築平坦部には埴輪列が巡る。
 周濠現存する地割にその痕跡認められ早くからその存在指摘されていたが、調査によって規模形態確定した周濠の幅は後円部東側で幅13メートルとやや狭いが後円部両側前方部最大両側前方部前面が約20メートル同一幅に設計されており、全体として前方部で幅を狭めた盾形平面形となる。深さ墳丘1段目から2メートル前後で、周濠含めた古墳主軸総長163メートルである。
 南方丘陵側には、周濠外側に幅15メートル周庭帯認められる周庭帯丘陵面よりも3~4メートル低く墳丘1段目とほぼ同レベルにあることから、丘陵切断し古墳築造基盤面として一体に形成されたことが分かる。この周庭帯前方部北側対称位置後円部北東側にも遺存地割として認められる
 埋葬施設は未調査のため不明であるが、明治時代後円部墳頂部掘削した際に、石室天井石掘りあてたという伝承がある。
 出土遺物には、円筒埴輪朝顔形埴輪のほかに、家形形などの形象埴輪細片がある。円筒埴輪は器面が剥離するなど残りが悪いが、制作時の器面調整は縦刷毛後に連続する刷毛施したものが多い。透し孔は円形で、タガ断面台形のものが主流占め外面には黒斑認められる
 本古墳築造時間は、円筒埴輪特徴古墳の形態、築成方法などから、5世紀前半考えられる古墳時代前期讃岐は、瀬戸内海沿岸地域でも独自の古墳文化形成した地域である。積石塚発達前方部中ほどバチ形に屈曲したり、長方形前方部をもつ特異な形状前方後円墳盛行特色とする。こうした地域的特色は、富田茶臼山古墳が出現する5世紀前半頃から急速に消滅方向向かっている。東讃地域をみると、津田湾を中心に築造された5群15基の前期古墳知られているが、それらの古墳群古墳時代中期まで継続せずに、富田茶臼山古墳の出現契機急激に衰退する現象認められる。富田茶臼山古墳の傑出した規模や、墳丘形態・築成方法みられる畿内色彩強さ考慮すると、畿内政治勢力緊密な結び付き背景に、瀬戸内南岸ルート四国東端の要衡である津田湾を掌握し東讃地域統合した有力な首長出現推測される
 以上のように本古墳四国地方最大前方後円墳であるとともに四国地方における古墳時代政治社会動向考究する上でも高い学術的価値有している。
 よって史跡指定し、その保存図ろうとするものである

富田茶臼山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 15:04 UTC 版)

富田茶臼山古墳

墳丘全景(右に前方部、左奥に後円部)
所在地 香川県さぬき市大川町富田中3402-3他(字石仏)
位置 北緯34度15分35.86秒 東経134度14分38.39秒 / 北緯34.2599611度 東経134.2439972度 / 34.2599611; 134.2439972座標: 北緯34度15分35.86秒 東経134度14分38.39秒 / 北緯34.2599611度 東経134.2439972度 / 34.2599611; 134.2439972
形状 前方後円墳
規模 墳丘長139m
高さ15m(後円部)
埋葬施設 (推定)竪穴式石室
出土品 埴輪
築造時期 5世紀前半頃
史跡 国の史跡「富田茶臼山古墳」
特記事項 四国地方第1位の規模
地図
富田茶臼山古墳
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富田茶臼山古墳(とみだちゃうすやまこふん[1]/とみたちゃうすやまこふん[2])は、香川県さぬき市大川町富田中(とみだなか)にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。

四国地方では最大規模の古墳で[注 1]5世紀前半(古墳時代中期前半)頃の築造と推定される。

概要

墳丘上から望む長尾平野

香川県東部、長尾平野東縁の低丘陵縁部に築造された大型前方後円墳である[2]。地元では墳丘上の埴輪に由来して「千壺山」とも称される[3]。現在は墳頂に妙見神社が、後円部東側に弥勒菩薩が祀られている[2][3]。墳丘北側の一部は県道10号線の建設[注 2]のため削られているほか、墳丘の一部では開墾・住宅建設による改変を受けているが、その他の部分では概ね良好に遺存する[2][3]。これまでに1989年度(平成元年度)に古墳域の、1993-1996年度(平成5-8年度)に周辺域の発掘調査が実施されている。

墳形は前方後円形で、前方部を西方に向ける[4]。墳丘は3段築成[4]。墳丘長は139メートルを測るが、これは四国地方で最大規模になり、第2位の規模の渋野丸山古墳徳島県徳島市、105メートル)に比べても大きく傑出する[5][注 1]。墳丘外表では埴輪(円筒埴輪・朝顔形埴輪・蓋形埴輪・家形埴輪、推計3,000本[3])のほか、葺石(2段目・3段目のみ)が検出されている[4]。墳丘周囲には盾形の周濠が巡らされているほか、南側・北側には周庭帯も有し、周濠を含めた古墳の全長は163メートルにも及ぶ[4]。埋葬施設は不明であるが、明治期に後円部墳頂で土俵を設置しようとした際に石室の天井石が掘り当てられたと伝えられ、竪穴式石室の存在が推測される[2][3]。なお、前方部側では陪塚として方墳3基も認められている[4]

この富田茶臼山古墳は、古墳時代中期前半の5世紀前半頃[2][5][6](一説に5世紀初頭頃[3])の築造と推定される。讃岐地方の古墳の主丘(円部)の大きさは、古墳時代前期中頃までで直径30-40メートル程度(高松茶臼山古墳猫塚古墳)であったが、前期後半の快天山古墳丸亀市)で直径60メートル程度、中期前半の本古墳で直径90メートル程度と大きく飛躍する[5]。同時に、本古墳に至ると前期古墳の地域色も薄れて畿内色を強めており、ヤマト王権から支援を受けた一方で王権への系列化が進んだ様相を示す[5][3]。東讃地域に限ると、古墳時代前期には津田湾周辺における津田古墳群の営造が知られるが、それら古墳群の消滅と呼応して富田茶臼山古墳が出現しており、ヤマト王権と強く結び付いた富田茶臼山古墳の被葬者が東讃地域を基盤として強い勢力を有したことを示唆する[2]。合わせて、当地は古墳の北側に古代南海道が推定される交通上の要衝になることから、沿岸部の海路(津田湾)から内陸部の陸路(南海道)への意識の移行を見る説も挙げられる[3]

古墳域は1993年平成5年)に国の史跡に指定されている[2]

遺跡歴

  • 延享2年(1745年)の『三代物語』に、「茶臼山」として日本武尊の墓に比定する説の記載[3][7]
  • 文政11年(1828年)の『全讃史』に、「仁徳帝陵」や「茶臼山」として[3][7]、「茶臼山城」として記載[3]
  • 明治期、後円部墳頂での土俵設置の際に石室天井石を確認[3][7]
  • 1989年度(平成元年度)、発掘調査(旧大川町教育委員会)[8]
  • 1993年(平成5年)
    • 7月26日、国の史跡に指定[2]
    • 12月18日、県営圃場整備事業に伴う試掘調査(旧大川町教育委員会)[9]
  • 1994年度・1996年度(平成6年度・8年度)、個人住宅建設に先立つ発掘調査(旧大川町教育委員会)[9]

墳丘

富田茶臼山古墳の空中写真。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

墳丘の規模は次の通り[4]

  • 古墳総長:163メートル - 周濠を含めた全長。
  • 墳丘長:139メートル
  • 後円部 - 3段築成。
    • 直径:90メートル
    • 高さ:15メートル
  • 前方部 - 3段築成。
    • 長さ:49メートル
    • 幅:77メートル
    • 高さ:12.5メートル
  • くびれ部
    • 幅:56メートル

造出の存在は知られていないが、墳丘くびれ部北側に存在を推測する説がある[5]

墳丘周囲に巡らされている周濠は、前方部側で幅を狭める盾形の濠(水濠か[3])で、後円部東側で幅13メートル、その他の部分では同一の幅約20メートルを測る[2]。周濠の外側では、一部に幅15メートルを測る周庭帯が認められる[2]

陪塚

富田茶臼山古墳の陪塚(陪冢)としては、次の方墳3基が知られる。いずれも後世に削平を受けて現在は地面にほぼ表出しないが、1993-1996年度(平成5-8年度)の発掘調査で確認された。

これら古墳3基の築造企画には富田茶臼山古墳本体の築造企画との一致が見られ、富田茶臼山古墳の築造当初からの計画的配置が推測される[4]

文化財

国の史跡

  • 富田茶臼山古墳 - 平成5年7月26日指定[2]

関連文化財

西岡の弥勒菩薩
(さぬき市指定文化財)
  • 西岡の弥勒菩薩
    さぬき市指定有形文化財(彫刻)。富田茶臼山古墳の後円部東側に祀られる弥勒菩薩の石仏。鎌倉時代後期から南北朝時代の間の作と推定される。かつて古墳そばの池から出土し、のち現在地に移し祀られたという。昭和47年8月22日指定[10][11]

その他

現地情報

所在地

交通アクセス

  • バス:大川バス(引田線)で「みろく公園前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)

関連施設

  • さぬき市歴史民俗資料館(さぬき市大川町富田中) - 富田茶臼山古墳の出土埴輪等を展示。

脚注

注釈

  1. ^ a b 四国地方における主な古墳は次の通り。
    1. 富田茶臼山古墳(香川県さぬき市) - 墳丘長139メートル。
    2. 渋野丸山古墳(徳島県徳島市) - 墳丘長105メートル。
    3. 快天山古墳(香川県丸亀市) - 墳丘長98.8メートル。
  2. ^ ここで言う「県道10号の建設工事」とは、旧来の長尾街道(旧南海道)における車線拡張工事である。香川県道10号は2014年さぬき東街道へ県道登録が変更されているため、ここで言う「県道10号」は、今に言うところの県道133号にあたる

出典

  1. ^ 富田茶臼山古墳 説明板(さぬき市教育委員会・さぬき市文化財保護協会設置)。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 富田茶臼山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 津田古墳群と富田茶臼山古墳をあるく & 2015年, pp. 175–196.
  4. ^ a b c d e f g h i j 富田茶臼山古墳(続古墳) & 2002年.
  5. ^ a b c d e 大久保徹也 & 2015年, pp. 180–187.
  6. ^ 富田茶臼山古墳(国指定史跡).
  7. ^ a b c 富田茶臼山古墳発掘調査報告書 & 1990年, pp. 1–2.
  8. ^ 富田茶臼山古墳発掘調査報告書 & 1990年, pp. 11–14.
  9. ^ a b 富田茶臼山古墳陪塚群 & 1998年, pp. 1–3.
  10. ^ 西岡の弥勒菩薩 説明板(さぬき市教育委員会・さぬき市文化財保護協会設置)。
  11. ^ 西岡の弥勒菩薩(さぬき市文化財保護協会大川支部)。

参考文献

  • 史跡説明板(さぬき市教育委員会・さぬき市文化財保護協会設置)
  • パンフレット「四国最大 富田茶臼山古墳の謎」(さぬき市教育委員会)
  • 地方自治体発行
    • 『富田茶臼山古墳発掘調査報告書』大川町教育委員会、1990年。 
    • 『富田茶臼山古墳陪塚群』大川町教育委員会、1998年。 
    • 『津田古墳群と富田茶臼山古墳をあるく』さぬき市教育委員会、2015年。 
  • 事典類
  • その他文献
    • 大久保徹也 著「富田茶臼山古墳 -讃岐の政権-」、『歴史読本』編集部編 編『ここまでわかった! 古代王権と古墳の謎(新人物文庫356)』KADOKAWA、2015年。ISBN 978-4-04-601306-4 

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