大学1年
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4月に明治大学文学部文学科に進学した。ここでは同校柔道部史上初の女性部員となるが、この当時の監督である重松裕之は、阿武はあくまでも例外ケースであり、他の女子部員の入部は認めないと発言しており、事実、その後女子部員が入部したケースは今のところない。 大学生になった直後の全日本選手権では、準決勝で日体大2年の二宮から有効を取って優勢勝ちして、決勝でも浅田を3-0の判定で破り3連覇を果たした。この優勝によって史上最年少の18歳での4段昇進となった。続く体重別では準決勝で外岡に判定勝ち、決勝では浅田を総合勝ちで下して、世界選手権の72kg超級と無差別の代表に選出された。 8月に福岡で開催されたユニバーシアードには無差別に出場して、準決勝で中国の孫福明から大内刈で有効を取って破ると、決勝ではポーランドのマルタ・コウォジェイチクに苦戦するが判定2-1で辛勝して優勝を果たした。 9月に幕張で開催された世界選手権の72kg超級では、初戦は一本勝ちするが3回戦で張に判定負けするものの、その後3位決定戦に勝ち進むが、ベルトランに有効を取られて敗れ5位に終わった。続く無差別の準々決勝でもユニバーシアードで勝った孫に敗れると、その後の3位決定戦でもやや優勢に試合を進めながらロドリゲスに1-2の判定で敗れ5位にとどまり、結局今大会はメダルを獲得することができなかった。その後の福岡国際では、準決勝で喬に本袈裟固で一本勝ちして、決勝でも二宮を注意で破り3連覇を達成した。
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大学1年
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早稲田大学入学直後に、本人の志願でフッカーにコンバートする。慣れないポジションの為、Dチーム(4軍)からのスタートとなったが、僅か2ヶ月でAチームの控え(つまりチームで2番手)になるまで成長した。しかし、先輩の臼井陽亮を追い越すことはできず、活躍の場はBチームが中心であった。
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大学1年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:42 UTC 版)
4月からは兄の一二三と同じく日体大へ進学した。この際に新元号にちなんで、「令和で一番活躍できるようにもっと強くなりたい」と語った。体重別はすでに世界選手権代表が内定していたため出場しなかった。大会後、正式に代表が決まった。 今年最初の大会となった5月のグランプリ・フフホトでは、決勝でスイスのエヴリネ・チョップを内股で破るなど全て一本勝ちして2連覇した。 8月に東京で開催された世界選手権では準決勝でリオデジャネイロオリンピック金メダリストであるコソボのマイリンダ・ケルメンディをGSに入ってから横四方固で破ると、決勝ではロシアのナタリア・クジュティナを開始30秒の袖釣込腰で破って大会2連覇を達成した。これで対外国選手45連勝となった。この際に、「(ケルメンディは)一番戦いたかったし、勝ちたかった選手。ケルメンディ選手に勝ったことが一番自信になりました」と語った。 なお、今大会で兄は3位に終わり2年連続の兄妹優勝はならなかったが、「お兄ちゃんが負けたのは悔しいけど、まだ道はあると思う。もう一度私を引っ張ってもらえる存在になってほしい」と思いやった。一方、兄は妹が2連覇を達成したことについて、「今日はお兄ちゃんとして情けないのはあったけど、柔道家としてあのプレッシャーの中で勝つのはすごい。心の底からおめでとうと言いたい」とコメントした。大会後、昨年の世界選手権で優勝した時に続いて再び世界ランキング1位になった。 9月には兄妹揃ってアディダスと契約を結んだ。 11月のグランドスラム・大阪では準決勝で志々目を内股すかしで破るも、決勝でブシャールにGSに入ってから肩車の技ありで敗れて号泣した。これにより、国際大会デビュー戦以来続いていた対外国選手の連勝記録も48でストップした。なお、今大会で優勝すれば東京オリンピック代表が内定する可能性があったものの持ち越しとなった。 2020年2月のグランドスラム・デュッセルドルフでは準々決勝で世界ジュニアチャンピオンであるモンゴルのルハグバスレン・ソソルバラムを合技で破るなど全て一本勝ちして決勝まで進むと、金髪化したブシャールにGSに入ってから反則勝ちを収めて、GS大阪で敗れた雪辱を果たした。 その後に開かれた強化委員会で、強化委員全員の満場一致により、東京オリンピック代表が内定した。2番手選手とのこれまでの成績差が歴然だと強化委員の3分の2以上によって判断された場合は東京オリンピック代表が内定することになっていた。代表内定となった阿部は、「五輪は人生最大の目標。自分のすべてを東京五輪にかけたい」と決意を語った。また、世界チャンピオンの丸山城志郎との代表争いを控える兄に対して、「お兄ちゃんなら絶対に決めてくれると思う。兄が最高の準備をできるように支えたい」とも述べた。 なお、JOCのシンボルアスリートに選出された。 3月には新型コロナウイルスの影響により東京オリンピックの開催が1年ほど延期されることになった事態に対して、「昨日までと変わらず、自分のやるべきことを徹底していくのみです。いつの開催になろうとも最高のパフォーマンスを発揮できるように万全の準備をしていきます」とコメントした。
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大学1年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:25 UTC 版)
2010年には天理大学へ進学。1年の時にはフランスジュニア国際で優勝すると、グランドスラム・東京にも出場して5位となった。この当時、全日本代表チームの監督だった大学の先輩でもある篠原信一に、特例でジュニアからシニアの強化指定選手に引き上げて貰ったことでシニアの合宿にも参加してより力を蓄えていった。
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大学1年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:32 UTC 版)
4月、環太平洋大学へ進学した。体重別では決勝で朝比奈を10分近い戦いの末に小外刈の技ありで破って、今大会3連覇を達成した。続く全日本女子選手権では準々決勝で山部、準決勝で稲森をそれぞれ大内刈の有効で破ると、決勝では朝比奈に9分5秒の戦いの末に反則勝ちを収めて、塚田真希以来の連覇となる2連覇を達成するとともに、世界選手権代表に選出された。6月の優勝大会では1勝1分けでチームは3位だった。7月のグランプリ・ザグレブでは準々決勝でベレンシェクを体落で破ると、準決勝ではキンゼルスカに反則勝ち、決勝ではツェリッチに不戦勝で優勝した。8月に東京で開催された世界選手権では準々決勝でツェリッチに反則勝ち、準決勝でトルコのカイラ・サイトを合技で破ると、決勝でオルティスに8分以上の戦いの末に反則勝ちするなど、全て一本勝ちして世界チャンピオンとなった。これにより、高藤直寿、近藤亜美、朝比奈沙羅、ダリア・ビロディドに続いて5人目となる世界カデ、世界ジュニア、シニア世界選手権の3カテゴリを制覇することになった。試合後には次のように語った。「何が何でも勝つという気持ちで試合した。本当に優勝を目指していた大会なので良かった。東京五輪には自分が必ず出て、必ず金メダルを取るという気持ちがあるので、それを達成できるようまた努力していきたい。」。なお、素根が幼少の頃から憧れていた中村美里は、素根について次のようにコメントした。「(162センチの)小さい体をいかした技やスピード、攻めどころなどの見極めがうまい。組み手の徹底、担ぎや前後の技もあって海外選手からしたらやりにくいはず」「素根さんがこれだけ強くなって、重量級選手でありながら自分のような軽量級選手のことを『憧れ』と言ってもらえるのは素直にうれしい。このまま強い気持ちを持って戦い続けてほしい」。10月には地元福岡のヤフオクドームで開催されたプロ野球日本シリーズ第1戦の福岡ソフトバンクホークス対読売ジャイアンツ戦において始球式を行った。11月には地元の久留米市より、自転車の世界選手権プロスプリントで10連覇を達成した中野浩一に続いて33年ぶりとなるスポーツ大賞を授与された。11月のグランドスラム・大阪では準決勝で冨田に反則勝ちすると、決勝でもオルティスを大内刈の技ありで破って今大会初優勝を飾った。今大会と世界選手権で優勝した場合は強化委員会で3分の2以上の賛成が得られると東京オリンピック代表が内定することになっていたが、強化委員34名全員の満場一致により、柔道では東京オリンピック代表の内定第一号となった。代表内定となった素根は、「必ず金メダルを取る」と決意を語った。12月には地元の久留米市から「くるめふるさと大使」を委嘱された。2020年3月にはグランドスラム・エカテリンブルグに出場予定だったが、新型コロナウイルスの影響により全柔連が選手派遣を取り止めたために出場しなかった。3月には新型コロナウイルスの影響により東京オリンピックの開催が1年ほど延期されることになった事態に対して、「延期ということで、はっきりしたので前を向ける。あと1年、自分がより強くなる時間ができたと信じ、頑張っていく」とコメントした。
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大学1年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:42 UTC 版)
2016年には日体大に進学した。 4月の選抜体重別では準決勝で海老沼と対戦して技ありと有効を取ると、さらには背負落で投げて完勝した。決勝でも昨年の講道館杯で敗れた丸山を指導2で破って今大会初優勝を飾るも、過去の実績から海老沼がリオデジャネイロオリンピック代表に選出された。 しかしながら、試合後の強化委員会では阿部が海老沼を終始圧倒したことから海老沼の代表に疑問を呈する声が、強化委員長の山下泰裕を始めとした複数の強化委員から上がった。阿部の今後の伸びしろを考慮して、チャンスを与えるためにアジア選手権やワールドマスターズなど残りの国際大会に出場させて、様子を見た上で代表を改めて決定すべきだとの声も出た。海老沼のように過去の実績で代表にほぼ内定していたような選手でも、今大会であまりにも酷い負け方をした場合は事実上の内定を取り消すことを提案した強化委員もいた。なお、その後の稽古で左膝靱帯を損傷したために、アジア選手権の出場を取り止めた。 7月のグランドスラム・チュメニでは準決勝でパーク24の竪山将に技ありで勝つと、決勝では地元ロシアのアンザウル・アルダノフに指導1を先取されるも技ありで逆転勝ちして優勝を飾った。 11月の講道館杯では準々決勝で明治大学4年の橋口祐葵に袖釣込腰で敗れるなどして7位にとどまった。 12月のグランドスラム・東京では決勝で橋口を背負落で破って講道館杯の雪辱を果たして、今大会2年ぶり2度目の優勝を飾った。なお、妹の阿部詩も52kg級で2位となり、兄妹でのメダル獲得となった。 2017年2月のグランドスラム・パリでは準決勝までオール一本勝ちすると、決勝ではアルダノフを攻めあぐねたものの終了間際に袖釣込腰で技ありを取って優勝を果たした。
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