大字馬場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 02:04 UTC 版)
馬場村と称していた。旧石高は558石2斗4升8合であった。現在の寺田町・五十鈴町・学園町・学園南町及び新堂1-2丁目の一部に該当する。 1662年(寛文2年)271石6斗9升3合が永井直清の領地に、284石5斗5升5合が徳川家代官の支配になる。 1764年(明和元年)徳川家代官の領地が、土井利里の領地となる。 1869年(明治2年)6月 土井氏領が上地され、古河藩の支配にうつる。永井氏領地も上地して高槻藩の支配にうつる。 1871年(明治4年)7月14日 旧土井氏領古河藩が古河縣に変更。また、旧永井氏領も高槻藩から高槻縣へ変更。 同年11月15日 旧土井氏領印旛縣の管轄に変更 同年11月20日 旧土井氏領が大阪府の管轄となったことにより、全村同一管轄となる。
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