反対・拒否とは? わかりやすく解説

反対・拒否

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:16 UTC 版)

特別攻撃隊」の記事における「反対・拒否」の解説

第三四三海軍航空隊では特攻出していない。司令源田実大佐空戦による制空権奪回目指し特攻指導をせず、空中特攻命令にも司令自らが特攻することを決めている。また、特攻打診があった際も、行けと言ってくる参謀最初に来るならやると上に伝えてほしいという飛行長志賀淑雄少佐意見源田司令賛同している。 歴戦戦闘機指揮官戦闘303飛行隊飛行長岡嶋清熊少佐は、フィリピン特攻推進する大西第一航空艦隊司令部強く反発し、「特攻邪道である。内地帰り再編成の上正々堂々決戦すべきである自分の隊からは一機の特攻も出させぬ」と頑張り士官室で全員特攻唱える201海軍航空隊飛行長の中島正少佐激論交わしていたという。岡嶋は「戦闘機乗りというものは最後の最後まで敵と戦い、これを撃ち落とし帰ってくるのが本来の使命、敵と戦うのが戦闘機乗り本望なのであって爆弾抱いて突っ込むなどという戦法邪道だ」という信念持ち主であり、上層部なかには岡嶋国賊と呼ぶ者もいたという。その後岡嶋率い戦闘303飛行隊日本本土転戦し、主に特攻機護衛任務戦い続けて沖縄戦中に89名の戦闘機搭乗員のうち38名を失ない戦死率は43%にも上った。これは特攻隊として編成され第二〇五海軍航空隊103名の特攻隊員戦死者35名(戦死34%)と比較しても、護衛任務従事した戦闘303飛行隊戦死率の方が高くなっているほどであった戦後岡嶋は「参謀特攻の話をしたときです。わたしは拳銃握っていた。『この野郎、ぶち殺してやろう』と思いました戦死拒みはしないが、搭乗員虫けらのように言うのがたまりません。その男特攻出ないのに」と振り返っている。 特攻志願募られた際、岩本徹三海軍少尉は「死んで戦争負けだ。戦闘機乗り何度も戦って相手多く落とすのが仕事だ。一回体当たり死んでたまるか。俺は否だ。」と志願しなかった。203空飛行進藤三郎少佐司令反対意見述べた[信頼性検証]。第三四一海軍航空隊飛行隊長藤田怡与蔵少佐新鋭機の部隊であることを理由特攻反対した。 芙蓉部隊指揮官美濃部正少佐は、夜間攻撃重視し練習機特攻を行う計画反対したとされる。しかし、美濃部特攻そのもの拒否をしていたわけではなく硫黄島の戦い沖縄戦で度々部下特攻命令して戦死者出している。美濃部は、対敵機動部隊戦術として「敵の戦闘機隊が十分な行動できない未明に、まず芙蓉部隊機が敵空母甲板上の敵機ロケット弾攻撃し発艦前に打撃与えて友軍特攻機突入援護する最後には、芙蓉部隊機も搭乗員諸共空母甲板上に特攻し、敵空母甲板上の艦載機一掃する。」との特攻戦術考案しており、終戦間際特攻計画した際には自ら指揮官として出撃する予定であった陸軍航空隊初の特別攻撃隊となった万朶隊のうち、佐々木友次伍長敵艦体当たりせずに通常攻撃行いミンダナオ島カガヤン飛行場生還している。この後帰還続け佐々木第4航空軍第4飛行師団参謀長猿渡篤孝大佐が「爆撃敵艦沈めることは困難だから、体当たりをするのだ。体当たりなら確実に撃沈できる」と次回出撃時は確実に体当たりするよう諭したが、佐々木は「私は必中攻撃で死ななくてもいい思いますその代わり、死ぬまで何度でも行って爆弾命中させます」と反論している。上官対す明白な反抗で本来であれば軍法会議行きもおかしくなかったが、この時はさらに諭されただけで不問とされている。佐々木この後合計9回出撃命じられたとも言われるが、敵艦突入することなくいずれも生還している。航空機失った第4航空軍の他の操縦士台湾撤退したが、公式には戦死扱いであった佐々木には台湾へ撤退許可は出なかったため、ルソン島山中立てこもり終戦迎えている。佐々木特攻しなかった理由として「日露戦争金鵄勲章受賞した父親や、戦死した万朶隊隊長岩本大尉の死ぬなという言葉支えになった」「乗機九九式双発軽爆撃機)が乗りやすい飛行機で、これに乗って自爆はしたくないという気持ちがあった」と述べている。 しかし、戦後に第4飛行師団参謀の辻秀雄少佐語ったところによれば、最初出撃帰還した佐々木への対応について佐々木所属した第4飛行師団では判断がつかずに第4航空軍協議したところ、第4航空軍参謀より「行って、それが命中して効果あげたんなら、もう1回やらせてもいいんじゃないか」という提案があり、その後佐々木帰還繰り返すと、「もう1回やるんだから、2回でも3回もやればそれだけ戦果をあげるんだから、それだけこっちに利があるんじゃないか」「こういう風な状況になったんだから、やむを得ない。彼(佐々木)にいい死に場所与えようじゃないかということで、第4航空軍司令部佐々木帰還容認していた。この第4航空軍佐々木対す方針は、司令官富永恭次中将裁量であったとも言われており、富永佐々木特攻出撃から帰投するたびに「おお、佐々木、よく帰ってきたな」「よくやった。これぞという目標をとらえるまでは、何度でも帰ってこい。はやまったあせってはいかん」と親しげ声かけをし、「昼飯一緒に食べよう思ったら、他に予定あるそうだ。せっかくだから、お土産進呈しよう」と上機嫌缶詰手渡したりと佐々木好意的であり、また出撃前に特別に一房のバナナ渡して佐々木感激させている。また、特攻批判的佐々木生還指示したとも言われる隊長岩本であるが、報道班員には「万朶隊攻撃はたった1度です。1度で必ず成功しなければなりません。死ぬことは、そんなにやさしいものではありません」と特攻覚悟した発言をしている。 陸軍飛行第62戦隊隊長石橋輝志少佐は、大本営作戦課から第62戦隊特攻部隊編成訓練するよう要請されると「部下犬死にさせたくないし、私も犬死にしたくない」と拒否した石橋少佐その日のうちに罷免された。この後、第62戦隊特攻専用機改造され四式重爆撃機装備して特攻攻撃借り出されている。

※この「反対・拒否」の解説は、「特別攻撃隊」の解説の一部です。
「反対・拒否」を含む「特別攻撃隊」の記事については、「特別攻撃隊」の概要を参照ください。

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