反対同盟分裂
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「三里塚芝山連合空港反対同盟」の記事における「反対同盟分裂」の解説
戸村の死と前後するように新東京国際空港開港という「既成事実」が定着していく中、政府は未成の二本の滑走路建設に向けて二期工事を推進していった。「反対同盟」はこれへの対応を迫られたことから、「廃港」というスローガンは死守しつつも、「二期工事阻止」が喫緊の課題となる。 「反対同盟」では反対運動初期に行われた「一坪共有化運動」を拡大して、二期地区内の未買収地を1人1万円で共有するという「一坪再共有化運動」が二期工事への対応策として提起された。しかし、共有地用の土地を提供することになる二期工事敷地内の農民の多数が反対したために紛糾を来した。この「一坪再共有化運動」に加えて、成田用水事業の受け入れ是非を巡り、反対同盟内では深刻な意見対立が生じるようになっただけでなく、中核派等の新左翼活動家らによって、立場が異なる農家への誹謗中傷が公然と行われ始めた。 1982年12月16日、「一坪再共有化運動」推進派により、「三里塚芝山連合空港反対同盟大地共有委員会」が発足する。 1983年3月3日に、「一坪再共有化運動」推進派は、芝山町千代田公民館で、「幹部会」名義で北原鉱治事務局長の解任を決議し、3月8日に新代表として熱田一を選出し、マスコミより「熱田派」とされる。「一坪再共有化運動」反対派は、同じ3月8日、成田市天神峰の現地闘争本部で、実行役員会を開き、「幹部会」なる機関を認めず事務局長解任は無効であるとし、「幹部会」メンバーで事務局次長である石井新二の除名を決め、マスコミより「北原派」といわれる。 「北原派」は二期工事空港予定地を所有・耕作する戦後開拓で入植した農家らを中心に構成され、過激路線を取る中核派等の支援を受けた。「熱田派」は空港予定地外の騒音区域を拠点とする古くから続いてきた農家や青年行動隊のメンバーらを中心に構成され、第四インター等の支援を受けた。分裂した両者の間では中傷や闘争拠点をめぐる小競り合いに加えて暴力事件も生じるようになる。 翌年1984年1月と7月には、「中核派革命軍」のメンバーが「熱田派」とされる第四インターの活動家複数名を襲撃し重傷を負わす事件にエスカレートする。 1985年10月20日、「北原派」を支援する新左翼活動家の集団が空港突入を試みて機動隊と衝突し、多数が逮捕される「10.20成田現地闘争」が発生。空港機能の一部損壊には成功したものの、この闘争が「反対同盟」としては最後の大規模な実力闘争となった。 1987年9月4日、「北原派」から中核派主導の方針に反発する小川嘉吉ら他の3戸の東峰地区の空港予定地内農家が離脱し、新左翼に依存しない運動を目指す「小川派」となる。中核派は「小川派」や「北原派」からの離脱を試みた空港予定地外の農家に激しいバッシングを行った。 反対同盟の分裂後も北原派と旧熱田派は反対運動を続けているが、基本的に両者は反目しているため一緒になって反対運動をすることはない。 反対同盟の流れを以下に示す。 三里塚空港反対同盟━┳━芝山空港反対同盟 ┃ 三里塚芝山連合空港反対同盟 ┃ ┣━━━━━━━━━━┓ ┃ ┃ ┃ 三里塚空港から郷土とくらしを守る会 ┃ ┃ ┃ 成田空港から郷土とくらしを守る会 ┃ ┃ ┏━━━━━━━━┻┓ ┃ ┃ ┃ ┃北原派 熱田派 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━┓ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 小川派 旧熱田派 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃(活動終了) ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
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