初代 NA系(1989年-1998年)
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「マツダ・ロードスター」の記事における「初代 NA系(1989年-1998年)」の解説
開発主査は平井敏彦。後に平井の退職に伴い、サスペンション開発の担当であった貴島孝雄が主査を引き継いだ。プロダクトデザインは田中俊治、俣野努ら数名の手によるものである。 開発の発端 はマツダが北米に開設していたMAZDA RESEARCH of AMERICA(以下MRA)のスタッフが空港に向かう車中で「MGのようなライトウェイトカーがあれば」と話したこととされている。それを受けて、当時MRAに在籍していた福田成徳 らがデザインコンセプトをまとめた。デザインコンセプトは有志の手によって具体化が進められFA4型ファミリアのコンンポーネンツを使用してイギリスにある会社(I.A.D社)で試作車が製作された。この試作車はプロジェクトV705号というニックネームで呼ばれ車体色が赤色であったことやフロントボンネットの造形がボリューム感あるものだったことから福田成徳らスタッフから「りんごちゃん」と呼ばれていた。この試作車を使用してイギリス、アメリカで実際に走行試験が行われた。この走行試験は本社側から一般の人の反応を見てプロジェクトの可否を決定したいという意向によるものであった。そして、偶然それを見かけた一般車が試作車を追いかけてきて、「代金はいくらでも払うから譲ってほしい」と言われた逸話がある。こうした市中の好意的反応によりプロジェクトの続行が決定され、開発コードは”P729”とされた。今でもこの試作車はマツダ社内に保管されており、2009年夏に20周年イベントのプレイベントにて展示公開された。足回りは当時同クラスでは既に珍しくなっていたFRが採用された。これは当時他社で発売されていたライトウェイト車との差別化もあり、ホンダが前輪駆動のCR-X、トヨタがミッドシップのMR2をそれぞれ開発しており、FR車が存在していなかった背景もある。 その後も開発は、日本国内の工場の隅にある、通称「リバーサイドホテル」と称される施設で、有志により継続された。その後、有志によって「ライトウェイトオープン スポーツ」の存在がマツダ社内でプレゼンされ、正式開発の指示の下、正式開発ラインに初めて乗ることになる。開発に当たってのキーワードは「人馬一体」とされた。当時、マツダのデザイン拠点は広島本社とは別に前述のMRAの他、横浜にあるデザイン本部(MRY)、そしてヨーロッパ(MRE)にも展開されており、これら3拠点で練られたデザインが持ち寄られ、最終的なデザインの方向性が決められた。主となるデザインはMRA提案であったが、後の開発過程で贅肉をそぎ落としていくことになる。当時のデザインコンセプトは「ときめき」である(その後デザインコンセプトは「ひびき」、「語らい」と続いていく)。 デザインモチーフには「日本の伝統」を記号化したものが多く用いられた。フロントマスクは、能面のひとつである「小面」、フード部分で盛り上がり、サイドウィンドウに沿ってなだらかに下がって再び盛り上がるサイドのラインは、同じく能面のひとつである「若女」を横から見た姿にインスパイアされている。そして車体の曲面は光の映り込みまで計算されている。シート表面のパターンは畳表の模様、リアコンビランプは江戸時代の両替商が使った分銅の形をデザインしている。独特の形状のアウタードアハンドルは、あえて従来のものとは一線を画すようにデザインされた。これは、日本の茶室の「くぐり戸」から入る際の緊張感と同列の感覚をロードスターの運転を前に感じて欲しいという、開発者からのメッセージでもある。 ヘッドライトにはリトラクタブル・ヘッドライトを採用。リアコンビネーションランプは、デザイン性と機能性の両立を評価され、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に展示・永久収蔵されている。なお、スペースの都合で車両自体の展示が出来ず、ロードスターのアイコンとして田中俊治が提示したのがこのパーツであった。 量産モデル決定後、他の市販車ではあり得ない約1年半という期間で市場にデビューすることになる。量産開発コードは”J58G”とされた。エアインテーク経路やエキゾーストマニフォールドの設計はパワートレイン担当チーフの横倉恒利が担当しエキゾーストパイプの集合部分の設計に自身所有の大型バイクを参考にした逸話が残っている。また非常に短期間での市場投入をすべく既存車両の部品流用も多く、2代目AA系キャロルのサイドウインカー、3代目E8/F8系ボンゴの灰皿等がそうである。灰皿のシボ模様はロードスターの室内樹脂部品のシボ模様と異なるが構成部品として採用された。日本仕様車のフロントバンパー中央に取り付けられるエンブレムは田中俊治がデザインを進めていたが、ユーノスチャンネルでの販売を受けてユーノスブランドマークの”Vマーク”に変更された。なお、ユーノスチャンネルはバブル崩壊に伴うマツダの経営戦略の見直しにより1996年3月末で廃止されたため、名称は「ユーノス・ロードスター」のまま販売チャンネルはマツダアンフィニ店に移った。 最初期のモデル以降、2度の大きなマイナーチェンジを受ける。排気量の変更を始め、各部剛性の向上など性能は大きく変化することになるが、エクステリアに関しては大きな変更はなく、どのモデルも大きな違いはない。リアの“Roadster”のロゴプレートに関しては文字色が各モデルで異なり、NA6CEが黒文字、NA8Cシリーズ1が赤文字、NA8Cシリーズ2が緑文字となっている。また、2003年にマツダE&Tにてレストアされたリフレッシュビークル(限定30台)は黄文字である。 2004年、米国のスポーツカー専門誌、スポーツカー・インターナショナルの選出したベスト・スポーツカー1990年代部門で第1位を獲得した。20世紀に生産された乗用車の中から、世界32か国、約130名の選考委員により選び出すカー・オブ・ザ・センチュリーではベスト100に入った。 なお、2015年には4代目モデルのCMに壮年男性の運転する本モデルのロードスターが登場している。 発売から30年以上経過しても根強い人気があり、開発に関わった人物が状態の良い中古を探す事例もあることから、対象を初代に絞ったレストア業者も存在する。
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