初代 NHW10/11(1997年 - 2003年)
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「トヨタ・プリウス」の記事における「初代 NHW10/11(1997年 - 2003年)」の解説
1997年12月、岩崎俊一による「21世紀に間に合いました。」のキャッチコピーが示す通り、世界初となる「量産ハイブリッド自動車」として誕生。開発責任者(チーフエンジニア)は、後にトヨタ自動車の会長となる内山田竹志が務めた。開発プロジェクト名は「G21プロジェクト」。CMキャラクターには歌手の谷村新司が起用されていた。 サイズは小型5ナンバー4ドアセダンで、デザインは歴代セリカなどを手がけたトヨタのアメリカのデザイン拠点であるCALTYが担当し「未来からやってきた車」のイメージに相応しいエクステリアを構築する。外観は当時としては珍しいフロントグリルとボンネットをシームレスにつないだデザインを採用した。これは単にデザインだけではなく、空気抵抗の減少にも大きく寄与している。また、車両の全高を大きくとって着座位置を高くすることにより、乗降を容易に、かつ車内の居住空間を有効に使えるようにしているが、これは当時のセダンとしては革新的なパッケージングであった。 足回りでは専用の超軽量鍛造アルミホイールを装着し、さらにその上に空気抵抗低減のための樹脂製のホイールカバーを装着するという珍しい手法を採用している。なお、これは2代目や3代目、4代目にも引き続いて採用されている。 インテリアの最大の特徴としてセンターメーターがあるが、当時はまだ採用車種が少なく話題を呼んだ。また、5.8インチマルチインフォメーションディスプレイを始めからインテリアデザインに盛り込む設計がされたのも、同時期にデビューしたハリアーとともに初めての試みである。これらは後の乗用車全般のインテリアデザインに大きな影響を与えた。なお独特の駆動方式(走行中でもエンジンが停止するなど)から、タコメーターと水温計が省かれている。 駆動ユニットはTHS(Toyota Hybrid System)と呼ばれ、ミラーサイクル方式の1NZ-FXE型ガソリンエンジンと、1CM型永久磁石式同期モーターを併用して動力を発生する。1CM型はマイナーチェンジ時に改良され2CM型となる。 発表当初の燃費は28.0km/l(10・15モード)であり、当時の同程度のガソリンエンジン車と比較して驚異的なものであった。その後の改良により、最終モデルの燃費は31.0km/l(10・15モード)に達している。 販売価格は215万円と、車格が近い8代目・E110型カローラ(セダン)の「1.5SEサルーン」が152.7万円(2WDの4速AT車での場合)で販売されていた時代(1997年-1999年当時)としては決して安くはなかった。しかし、ハイブリッドシステムのコストからすると原価を大きく割り込んでいると見られ、「215万円はバッテリーだけの価格」や(前述のキャッチコピーからか)「21世紀へgo (5) の語呂合わせ」等と噂された。 最初期の量産型のハイブリッド車であるため、走行性能(動力性能)はこの当時の総排気量1,000cc以下の小型車とほぼ同等であり、バッテリーの不具合を心配する人も多かったのか年間の販売台数は最大でも2万台を超えることはなく、モデル末期には1万台を割り込んでおり、2代目のような「大ヒット」や3代目のような「スマッシュヒット」は記録しなかったものの、ハイブリッド乗用車史の基礎を築き上げるには十分な販売実績を残した。一方で後述の通り2代目以降は3ナンバーとなり、2代目プリウス以降もトヨタのハイブリッド乗用車は主に3ナンバーとなったため、トヨタの5ナンバーハイブリッド乗用車はアクアの登場まで、更に初代プリウスの流れを汲むノッチバックセダン型5ナンバーハイブリッド乗用車はカローラアクシオハイブリッド(NKE165型)の登場まで、一時期途絶える事になる。
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