信正失脚計画に加担した人々
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「風の市兵衛シリーズの登場人物」の記事における「信正失脚計画に加担した人々」の解説
越後 織部(えちご おりべ) 奥右筆組頭。44、5歳。幕閣や諸大名にも強い影響力を持つ奥右筆衆の中でも特に恐れられている。自分を知恵者だと思い上がり、他者を見下す性向があり、ときおり見せる冷笑は味方であるはずの門部邦朝も苛立たせる。 邦朝の老中就任運動を裏で支えていたが、信正が邦朝の領国に関する調査を行ない、藩札を破綻させた問題を暴き出したことでそれが頓挫したため、信正を激しく抗議し対立した。そして、3年前の両国橋営繕に不当に介入し、営繕を担当した瀬戸家に賄賂を要求したという罪をでっち上げて失脚させる策を編み出し、左池帯刀、後沢兵部、「露庵」の密偵らを使ってそれを実行に移した。 弥陀ノ介への不法な捕縛と違法な拷問が明らかになった後、それについて問い質す若年寄たちの前で、左池にすべての責任をかぶせようとした。また、門部家への不適切な肩入れについても否定する。越後はこのまま知らぬ存ぜぬで逃げ切れると踏んでいたが、激高した左池に城中で斬りつけられ、その後手当の甲斐なく死んでしまう。越後家は息子が跡を継いだが、減給され30俵の御家人として小普請に廻った。 門部 伊賀守 邦朝(もんべ いがのかみ くにとも) 伊勢7万石の大名家当主。元は外様だったが、6年前に越後の助力で願い譜代となった。30代半ばの年齢で、おちょぼ口の唇を開いたまま三白眼で人を睨む癖がある。 老中になる野望を抱き一旦は成功しかけていたが、領国で藩札を破綻させて領民を苦しめ、抗議する者たちを弾圧して死者も出したという問題を信正が探り出して将軍や幕閣に報告したため、老中就任の話が流れてしまった。そこで、信正を自身の野望実現の障壁と認識し、越後が描いた信正排除の策に乗る。 市兵衛らの活躍によって事が幕閣に露見した後、他家への預けの処分を下されることが決まった。その後の評議によってはさらに重い刑罰も予想されたが、即日家督を幼い嫡男に譲るなら、赦免されるよう取り計らうという信正の提案を受け入れて隠居した。今後減封あるいは国替え、そして願い譜代取り消しの処分もあり得ると噂されているが、本話終了時点では処分未定である。。 宝部 治右衛門(たからべ じえもん) 門部家の側用人。邦朝と越後の密談の場にはいつも同席した。邦朝の老中就任運動や信正失脚計画のための資金調達を担当していた。 邦朝が隠居すると、自身も職を解かれて隠居した。 左池 帯刀(さち たてわき) 2800石の旗本で目付を務める。極めて猜疑心強く、気位高く、呵責ない気質。1500石で家格が自分よりも下ながら目付筆頭の地位にある信正のことを日頃からおもしろく思っておらず、その点を突く越後の使嗾によって弥陀ノ介を捕縛させた。そして、激しい拷問を加えて偽の自白をさせ、それにより信正を罪に陥れようとしたが、弥陀ノ介が半殺しの目に遭いながらも頑強に自白を拒否し続けたため失敗に終わる。 不正な取り調べが明らかになると、越後がすべての責任を自分になすりつけて潔白を主張したため、怒りにまかせて城中で越後に斬りつけた。その後さる大名家に預けられて処分を待つ身となったが、三河以来の名門の家名を惜しんで、斬首ではなくせめて切腹をという嘆願が目付衆や知己の者たちから出された。 南部 六郎(なんぶ ろくろう) 左池の右腕と呼ばれる徒目付頭。左池の命で弥陀ノ介捕縛の指揮を執り、配下の徒目付たちを使って拷問を加えさせた。 事が露見すると、信正への訴えが偽りと知りながら左池に加担して弥陀ノ介に拷問を加えた罪を問われ、お役御免となって妻子共々組屋敷を追われた。 尾黒 権太左衛門(おぐろ ごんたざえもん) 厳しい拷問を受けても、なかなか思い通りの自白をしようとしない弥陀ノ介に業を煮やした南部が送り込んできた徒目付。すぐに激昂する気性で、彼が逆上すると危ないと、仲間たちからも交わりを避けられている。さらに苛烈な拷問を繰り返し加えて弥陀ノ介を痛めつけた。 市兵衞に救出された弥陀ノ介は、尾黒にだけは手痛い仕返しをした。ただし、信正の温情と弥陀ノ介の取りなしにより、弥陀ノ介の捕縛や拷問に関わった他の徒目付たちと同様、それ以上の責めは負わされなかった。 後沢 兵部(のちざわ ひょうぶ) 気のいい相模小田原出身の浪人、大鳥伝右衛門(おおとりでんえもん)と名乗って市兵衞に何度か接触した。しかし、市兵衞は彼が別の武士と「露庵」に入っていくのを目撃して不審を抱いた。 正体は、邦朝を幕閣に加えるかどうかという話が出た際、国元の調査を担当した御庭番。その際、門部家からの付け届けを餌に越後から調査に手心を加えるよう依頼され、その通りにした。しかし、信正が門部家の藩札問題を独自に調べ上げて幕閣に報告したため、調査の手抜かりが判明し、以後は御用を仰せつからなくなった。そこで信正に怨みを抱いている。 越後からは、いずれ信正の命を取るにしても、今は性急に行動しないよう釘を刺されていたが、岡本を霧原らと共に闇討ちして葬り去る。さらに片岡家に侵入して佐波の命を奪おうとしたが、市兵衞や小藤次、そして出刃包丁を投げつけて抵抗する静観によって阻止される。 片岡家襲撃失敗の直後に組屋敷から姿を消したが、その後市兵衞の前に姿を現して勝負を挑んだ。しかし、市兵衞の力が勝り、斬られて命を落とす。 霧原 勘八郎(きりはら かんぱちろう) 麻布宮下町にある新影流の道場主。後沢が隠密の役目に携わった折に呼び寄せられて、6名の門弟と共に協力してきた。片岡家襲撃の際に市兵衞に斬殺された。 鈴代 百助(すずしろ ももすけ) 霧原門弟の1人で浪人者。片岡家襲撃の際、負傷しながらも生き残って捕縛され、霧原一味と後沢の関係について白状した。 なお、2名の門弟が生き残って逃走している。 露次(つゆじ) 宇田川町にある高級京菓子の老舗「露庵」の主人。裏では門部家の密偵を務め、娘や手代らを使って様々な大名家や有力武家の裏話を収集して邦朝に伝えてきた。 おくみ 信正の妻となるために「薄墨」を離れた佐波に代わり、静観が接客係として雇った29歳の女。雇われて半月後に静観と肌を合わせるようになったが、それから1ヶ月もたたぬある日、突然姿を消してしまう。未練が残る静観は市兵衞におくみの行方探しを依頼した。 その後、市兵衞が助力を願った矢藤太の探索で正体が判明する。7年前に出戻った露次の娘で、本名はお桐(おきり)。彼女もまた門部家の密偵だった。そして、「薄墨」に潜り込んだのは、信正についての様々な情報を収集するためだったのである。 越後一統が断罪された際、信正は露次やお桐のことは見逃した。しかし、その後渋井が店を訪問し、看板偽装の罪を指摘する。「露庵」は京菓子店の看板を掲げ、3人いる菓子職人はみんな京で修行したという触れ込みだったが、実は大崎あたりの村出身で、神奈川宿の菓子屋で修行した連中だった。渋井はそのことを客がいる前でおおっぴらに暴露した。 沢戸 甚三(さわと じんざ) 丹後の大名、瀬戸家の留守居役。 瀬戸家は3年前に両国橋の営繕を担当ており、越後の圧力によって信正に関する訴えを公儀に上申した。しかし、沢戸は訴えの内容について尋ねるために訪問した市兵衞と岡本伸三に、自分は訴えの内容を聞かされておらず、さらに今回の問題は瀬戸家が世話になっている「さるお方」にすべて任せていると漏らした。そのことと、渋井が平八や秩父屋から聞き出した話や、矢藤太が「露庵」について調べ上げたことについて市兵衞から報告を受けた信正は、「さるお方」が越後であり、邦朝の野望が絡んだ陰謀によって自分があらぬ罪に問われているのだということを悟る。 訴えが偽りだったことが明らかになると、瀬戸家は偽りの訴えをしたのは沢戸の独断だったと公儀に弁明し、沢戸が切腹したことを報告した。それでも、今後減封や国替えの処分もあり得ると噂されている。 小野 繁一郎(おの しげいちろう) 納戸役頭。市兵衞と岡本が上屋敷を訪問した際、沢戸に同席した。その際、沢戸と共に不誠実な対応に終始し、それに怒った岡本と激しく言い争う。その際、もし訴えが間違いだった場合には瀬戸家も無事では済まないという言葉を岡田が吐いたことで、沢戸が「さるお方」の話を漏らすことにつながった。
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