信正失脚計画に加担した人々とは? わかりやすく解説

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信正失脚計画に加担した人々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 01:08 UTC 版)

風の市兵衛シリーズの登場人物」の記事における「信正失脚計画に加担した人々」の解説

越後 織部(えちご おりべ) 奥右筆組頭445歳幕閣諸大名にも強い影響力を持つ奥右筆衆の中でも特に恐れられている。自分知恵者だと思い上がり他者見下す性向があり、ときおり見せ冷笑味方であるはずの門部邦朝も苛立たせる。 邦朝の老中就任運動を裏で支えていたが、信正が邦朝の領国に関する調査行ない藩札破綻させた問題暴き出したことでそれが頓挫したため、信正激しく抗議し対立した。そして、3年前両国橋営繕不当に介入し営繕担当した瀬戸家賄賂要求したという罪をでっち上げ失脚させる策を編み出し左池帯刀後沢兵部、「露庵」の密偵らを使ってそれを実行移した弥陀ノ介への不法な捕縛違法な拷問明らかになった後、それについて問い質す若年寄たちの前で、左池にすべての責任かぶせようとした。また、門部家への不適切肩入れについても否定する越後このまま知らぬ存ぜぬ逃げ切れると踏んでいたが、激高した左池に城中斬りつけられ、その後手当甲斐なく死んでしまう。越後家は息子が跡を継いだが、減給され30俵の御家人として小普請廻った門部 伊賀守 邦朝(もんべ いがのかみ くにとも) 伊勢7万石大名家当主。元は外様だったが、6年前に越後助力願い譜代となった30代半ば年齢で、おちょぼ口の唇を開いたまま三白眼で人を睨む癖がある。 老中になる野望抱き一旦は成功しかけていたが、領国藩札破綻させて領民苦しめ抗議する者たちを弾圧して死者出したという問題信正探り出して将軍幕閣報告したため、老中就任の話が流れてしまった。そこで、信正自身野望実現障壁認識し越後描いた信正排除の策に乗る市兵衛らの活躍によって事が幕閣露見した後、他家への預け処分下されることが決まったその後評議によってはさらに重い刑罰予想されたが、即日家督を幼い嫡男に譲るなら、赦免されるよう取り計らうという信正提案受け入れて隠居した今後減封あるいは国替え、そして願い譜代取り消し処分あり得る噂されているが、本話終了時点では処分未定である。。 宝部 治右衛門(たからべ じえもん) 門部家の側用人。邦朝と越後密談の場にはいつも同席した。邦朝の老中就任運動信正失脚計画のための資金調達担当していた。 邦朝が隠居すると、自身も職を解かれ隠居した左池 帯刀(さち たてわき) 2800石の旗本目付務める。極めて猜疑心強く気位高く呵責ない気質1500石で家格自分よりも下ながら目付筆頭地位にある信正のことを日頃からおもしろく思っておらず、その点を突く越後使嗾によって弥陀ノ介を捕縛させた。そして、激し拷問加えて偽の自白をさせ、それにより信正を罪に陥れようとしたが、弥陀ノ介が半殺し目に遭いながらも頑強に自白拒否し続けたため失敗に終わる。 不正な取り調べ明らかになると、越後すべての責任自分なすりつけ潔白主張したため、怒りまかせて城中越後斬りつけた。その後さる大名家預けられ処分を待つ身となったが、三河以来名門家名惜しんで斬首ではなくせめて切腹をという嘆願目付衆や知己の者たちから出された。 南部 六郎(なんぶ ろくろう) 左池の右腕呼ばれる徒目付頭。左池の命で弥陀ノ介捕縛指揮執り配下徒目付たちを使って拷問加えさせた。 事が露見すると、信正への訴え偽り知りながら左池に加担して弥陀ノ介に拷問加えた罪を問われお役御免となって妻子共々組屋敷追われた。 尾黒 権太左衛門(おぐろ ごんたざえもん) 厳し拷問受けても、なかなか思い通り自白をしようとしない弥陀ノ介に業を煮やした南部送り込んできた徒目付。すぐに激昂する気性で、彼が逆上する危ないと、仲間たちからも交わり避けられている。さらに苛烈拷問繰り返し加えて弥陀ノ介を痛めつけた。 市兵衞救出され弥陀ノ介は、尾黒にだけは手痛い仕返しをした。ただし、信正温情弥陀ノ介の取りなしにより、弥陀ノ介の捕縛拷問に関わった他の徒目付たちと同様、それ以上責めは負わされなかった。 後沢 兵部(のちざわ ひょうぶ) 気のいい相模小田原出身浪人大鳥伝右衛門おおとりでんえもん)と名乗って市兵衞何度接触した。しかし、市兵衞は彼が別の武士と「露庵」に入っていくのを目撃して不審抱いた正体は、邦朝を幕閣加えかどうかという話が出た際、国元調査担当した御庭番その際門部家からの付け届けを餌に越後から調査手心を加えるよう依頼されその通りにした。しかし、信正門部家の藩札問題独自に調べ上げ幕閣報告したため、調査の手抜かり判明し以後御用仰せつからなくなった。そこで信正怨み抱いている。 越後からは、いずれ信正の命を取るにしても今は性急に行動しないよう釘を刺されていたが、岡本原らと共に闇討ちして葬り去る。さらに片岡家侵入して佐波の命を奪おうとしたが、市兵衞小藤次、そして出刃包丁投げつけて抵抗する静観によって阻止される片岡家襲撃失敗直後組屋敷から姿を消したが、その後市兵衞前に姿を現し勝負挑んだ。しかし、市兵衞の力が勝り、斬られて命を落とす霧原 勘八郎(きりはら かんぱちろう) 麻布宮下町にある新影流道場主。後沢が隠密役目携わった折に呼び寄せられて、6名の門弟と共に協力してきた。片岡家襲撃の際に市兵衞斬殺された。 鈴代 百助すずしろ ももすけ) 門弟1人浪人者片岡家襲撃の際、負傷しながらも生き残って捕縛され一味と後沢の関係について白状した。 なお、2名の門弟生き残って逃走している。 露次(つゆじ) 宇田川町にある高級京菓子老舗「露庵」の主人。裏では門部家の密偵務め、娘や手代らを使って様々な大名家や有力武の裏話を収集して邦朝に伝えてきた。 おくみ 信正の妻となるために「薄墨」を離れた佐波代わり静観接客係として雇った29歳の女。雇われ半月後に静観肌を合わせるようになったが、それから1ヶ月もたたぬある日、突然姿を消してしまう。未練が残る静観市兵衞におくみの行方探し依頼したその後市兵衞助力願った矢藤太探索正体判明する7年前に出戻った露次の娘で、本名お桐(おきり)。彼女もまた門部家の密偵だった。そして、「薄墨」に潜り込んだのは、信正についての様々な情報収集するめだったのである越後一統断罪された際、信正露次お桐のことは見逃した。しかし、その後渋井が店を訪問し看板偽装の罪を指摘する。「露庵」は京菓子店の看板掲げ、3人いる菓子職人はみんな京で修行したという触込みだったが、実は大崎あたりの出身で、神奈川宿菓子屋修行した連中だった。渋井そのことを客がいる前でおおっぴらに暴露した沢戸 甚三(さわと じんざ) 丹後大名瀬戸家留守居役瀬戸家3年前両国橋営繕担当ており、越後圧力によって信正に関する訴え公儀上申した。しかし、沢戸は訴え内容について尋ねるために訪問した市兵衞岡本伸三に、自分訴え内容聞かされておらず、さらに今回問題瀬戸家世話になっている「さるお方」にすべて任せていると漏らしたそのことと、渋井平八秩父屋から聞き出した話や、矢藤太が「露庵」について調べ上げたことについて市兵衞から報告受けた信正は、「さるお方」が越後であり、邦朝の野望絡んだ陰謀によって自分があらぬ罪に問われているのだということを悟る。 訴え偽りだったことが明らかになると、瀬戸家偽りの訴えをしたのは沢戸の独断だったと公儀弁明し、沢戸が切腹したことを報告した。それでも、今後減封国替え処分あり得る噂されている。 小野 繁一郎(おの しげいちろう納戸役頭。市兵衞岡本上屋敷訪問した際、沢戸に同席したその際、沢戸と共に不誠実な対応に終始し、それに怒った岡本激しく言い争うその際、もし訴え間違いだった場合には瀬戸家も無事では済まないという言葉岡田吐いたことで、沢戸が「さるお方」の話を漏らすことにつながった

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