世界恐慌と政党政治への不信・軍部の台頭
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「日本近代史」の記事における「世界恐慌と政党政治への不信・軍部の台頭」の解説
詳細は「世界恐慌」および「昭和」を参照 「昭和金融恐慌」および「昭和恐慌」を参照 1920年代より文化や社会科学の研究ではマルクス主義(科学的社会主義)が隆盛となり、1932年(昭和7年)には、野呂栄太郎らによる『日本資本主義発達史講座』が岩波書店から発行され、知識層に多大の影響を及ぼした。その執筆者は「講座派」と呼ばれたが、それに対して批判的な向坂逸郎らは雑誌『労農』により、「労農派」と呼ばれた。両派は以後、活発な論戦を繰り広げたが、国家主義的革新運動の台頭に伴い、弾圧を受け、強制的に収束して行くこととなった。 そんな中の1929年(昭和4年)10月24日、ニューヨークのウォール街で株価の大暴落し、世界恐慌が始まった。それは日本にも波及し、翌年、田中内閣の後を受けた濱口雄幸内閣が実行した金解禁を契機として昭和恐慌が引き起こされた。この恐慌は戦前の恐慌の内で最も深刻なものであった。イギリス・フランス・アメリカ合衆国などの「持てる国」が植民地囲い込みによるブロック経済で建て直しを図ったが、第一次世界大戦の敗戦で多額の賠償金を負っていたドイツや、目ぼしい植民地を所持しない「持たざる国」である日本などは深刻化な経済不況に陥った。このことはファシズムの台頭を招き、ドイツではナチ政権を生み出す結果となり、日本では満洲(中国東北部)は日本の生命線であると主張され、軍の中国進出を推進する要因となった。 各国が世界大戦後の財政負担に耐えかねている状況でアメリカとイギリスが中心となり、ワシントン軍縮条約が提案された。日本はイギリス・アメリカ・フランス・イタリアと共に五大軍事大国としてこれに調印し、いわゆる列強になった。しかもワシントン条約の戦艦保有率を米英の5に対して日本が3を保持したことは、世界3位の国になったことになる。この軍縮条約では、日本の中国進出を牽制する内容や日英同盟破棄も含まれていたため、軍部や官僚の中でも激しい意見対立があった。 1931年(昭和6年)には関東軍の謀略により柳条湖事件が引き起こされ、政府の戦争不拡大の方針を軍が無視する形で満州事変に発展し、ポツダム宣言受諾による降伏まで15年もの間繰り広げる十五年戦争に突き進んだ。このことで中国での権益、南方資源地帯の利権を巡り、欧米諸国との対立は深まっていった。また、1932年(昭和7年)には海軍将校らが犬養毅首相を射殺した五・一五事件(五・一五事件で憲政の常道は幕を降ろした)や、1936年(昭和11年)に皇道派の青年将校が斎藤実内大臣と高橋是清蔵相を射殺した二・二六事件事件が起こり、軍部の暴走が目立ち、政党内閣は滅び去った。その後、軍部の台頭は強まり、廣田弘毅内閣では過去に廃止となった軍部大臣現役武官制を復活させる。このことで現役軍人しか陸軍大臣および海軍大臣のポストには就くことができず、軍の協力なしに内閣を組閣することができなくなり、議会はその役割を事実上停止する。日本の満洲建国に前後して、国際連盟はリットン調査団を派遣し、その調査結果に基づいて、1933年(昭和8年)2月、日本の撤退勧告案を42対1(反対は日本のみ、ほかにシャム(タイ)が棄権し、チリが投票不参加)で可決した。これを受けた日本の全権代表松岡洋右は「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」ことを宣言して総会会場を去り、3月には国際連盟の脱退を表明した(1935年(昭和10年)3月27日正式脱退。)。このことにより日本は国際的に決定的に孤立の道を歩んでいった。 1937年(昭和12年)には、盧溝橋事件で日中両軍が衝突し、日中戦争(支那事変)が勃発した。ヨーロッパでは1939年(昭和14年)9月、ナチス政権下のドイツがポーランドに侵入し、第二次世界大戦が勃発した。日本は当初、「欧州戦争に介入せず」と声明したが、1940年、フランスがナチス・ドイツに降伏し、ドイツ・イタリアの勢力が拡大するに及んで日独伊三国軍事同盟(三国同盟)を締結した。大西洋憲章を制定した米英の連合国に対し、日独伊は枢軸国と呼称されるようになった。 国内の文化・思想に関しては、戦時体制が強化されるにともなって治安維持法による思想弾圧が目立ち、1937年(昭和12年)には、加藤勘十・鈴木茂三郎らの労農派の関係者が人民戦線の結成を企図したとして検挙される人民戦線事件が起こった。この時期には、合法的な反戦活動は殆ど不可能になっていた。
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