世界恐慌と第二次世界大戦、1929年 - 1945年
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「カナダ太平洋鉄道」の記事における「世界恐慌と第二次世界大戦、1929年 - 1945年」の解説
1929年から1939年まで続いた世界恐慌は、多くの企業を直撃した。カナダ太平洋鉄道も影響を受けたが、ライバルのカナディアン・ナショナル鉄道と違い債務を負っていなかったため、同社ほどの規模で影響を受けることはなかった。カナダ太平洋鉄道は一部の旅客列車と貨物列車を削減し、1932年以降は株主に配当の支払いを停止した。困難な時期には新しい政治運動が生まれるものであり、たとえばカナダ社会信用運動(英語版)や協同連邦党があり、中でも抗議運動の形で広まったものとしてオタワ行進(英語版)がある。 1930年代末の鉄道およびカナダにとって1つのハイライトとなったのは、ジョージ6世とその妃エリザベス・ボーズ=ライアンのカナダ訪問(英語版)であり、これは在位中の君主による初めてのカナダ訪問であった。カナダ太平洋鉄道とカナディアン・ナショナル鉄道は、ロイヤルトレインを運転する栄光を分かち合うことになり、カナダ太平洋鉄道側はケベック・シティーからバンクーバーまでの西行きの列車を担当した。その年の後半に、第二次世界大戦が勃発した。第一次世界大戦の時と同様に、カナダ太平洋鉄道は保有する資源を戦争努力に捧げた。モントリオールにあるアンガス工場(英語版)は、改造されてバレンタイン歩兵戦車やその他の装甲車両を生産するようになり、また兵士や物資を国中で輸送した。22隻の船が戦争に送られ、このうち「エンプレス・オブ・カナダ」や「エンプレス・オブ・エイジア」など12隻が沈没した。
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