世界恐慌と戦争の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/02 09:46 UTC 版)
「コネチカット州の歴史」の記事における「世界恐慌と戦争の時代」の解説
1929年に始まった世界恐慌以降、都市部でも田園地帯でも失業率が増加し、コネチカットの民主党は権力を取り戻す機会と捉えた。この運動の中心となったのはイェール大学の英語の教授で州知事のウィルバー・ルーシャス・クロスであり、フランクリン・ルーズベルトのニューディール政策を真似して新しい公共事業を起こし、最低賃金を設定した。この時期にメリット・パークウェイが建設された。 しかし、1938年、民主党は物議を醸して衰退し、レイモンド・E・ボールドウィン知事の下で共和党が直ぐに権力を取り戻した。コネチカット州は2大政党が激しく競い合う州となった。 長引いた不況に取って代わったのは、アメリカが第二次世界大戦に関わったことであり、これで空前の景気に沸いた。ルーズベルト大統領がアメリカは「民主主義の兵器庫」という呼びかけを行ったことで、航空機用エンジン、ラジオ、レーダー、近接信管、ライフル銃など多くの軍需物資関連産業が目覚しい成長を遂げた。プラット・アンド・ホイットニー社が航空機用エンジンを造り、チェニー社は絹のパラシュートを縫製し、エレクトリック・ボート社は潜水艦を造った。これらに加えて、以前からある工業種である銃、船舶、制服、弾薬、および大砲などの製造が賑わった。2007年のテレビ・ドキュメンタリー・シリーズ「ザ・ウォー」では、ケン・バーンズがウォーターバリーでの弾薬製造に焦点を当てた。弾薬製造は1945年でほとんど終わったが、ハイテク電子部品や飛行機部品の製造は今も続いている。
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