世界恐慌と法幣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:42 UTC 版)
世界恐慌によって銀価格も暴落し、銀本位制をとる中国の為替は安くなったため恐慌の影響を緩和した。このため1927年〜1929年の間に世界の輸出総額は42.7パーセント減少したのに対し、中国は10.5パーセント減少で比較的被害が少なかった。その後、アメリカが金本位制から離脱して銀の国有化政策を行うと銀価格は暴騰し、中国の銀は1934年の1年間で推定2億6000万元が流出した。銀不足は中国に物価の下落と恐慌を招き、各地で銀行や銭荘などの倒産や営業停止が相次いだ。南京国民政府は銀の流出を防ぐために幣制改革を行い、中央銀行・中国銀行・交通銀行の紙幣を法幣と認定した。納税や公金は法幣によって扱われることになり、銀の使用は禁止された。政府は各地から銀を供出させて法幣と兌換させ、銀を国有化した。この政策により、四行には3億元の銀が集まったといわれる。こうした政策はイギリスの大蔵省顧問であるフレデリック・リー・ロス(英語版)の指導のもとで実施され、中国はイギリスのスターリング・ポンドに法幣をリンクさせた。法幣は経済の復興に貢献し、国民政府の金融支配を確立した。
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