世界恐慌と金本位制停止
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「日本の貨幣史」の記事における「世界恐慌と金本位制停止」の解説
金輸出解禁と世界恐慌 第一次世界大戦の影響を受けて、日本は金輸出の禁止を行い、金本位制を停止した。大戦期のマネーサプライの平均増加率は29パーセントで、大戦期間のインフレ率は年平均15.29パーセントとなった。金本位制の離脱により、国際収支の決算を金で行えなくなったため、為替は100円=49.85ドルの法定レートから43〜44ドルまで下落を続けた。大戦後にはアメリカをはじめとして各国が金本位制を再開して、ジェノヴァ会議では各国に金本位制への再開を求める決議がなされる。 第一次大戦後の不良貸付に加えて、関東大震災が大きな損害を与えた。震災で流通困難となった手形の解決策として震災手形があったが、震災以前の鈴木商店の不良債権などが混ざっていた。これに銀行の整理再建の未整備が重なり、銀行の取り付け騒ぎが頻発して昭和金融恐慌を招いた。銀行は37行が休業、全国の銀行の預金9パーセントが支払い停止となり、高橋是清大蔵大臣が恐慌の収拾にあたって支払猶予措置を行った。大規模な取り付け騒ぎで紙幣が不足したことから二百円紙幣が発行されたが、緊急だったため片面だけの印刷であり、偽札と間違えられて逮捕された所持人もいた。 日本でも金本位制再開のための金輸出解禁(金解禁)について検討が進むが、昭和金融恐慌の影響もあって決定が遅れ、業界団体、新聞の経済部、商工会議所などから金輸出解禁の要望が出された。世界恐慌ののちに濱口雄幸内閣が金輸出解禁の方針を発表するが、世界的な不況のなかで金輸出解禁が適切であるかについては、政策担当者の間でも激しい論争があった。特に金本位制離脱前の100円=49.85ドルに人為的に戻して解禁するか、下落後の43〜44ドルにするかで議論となった。金輸出解禁の実施により、100円=43ドル〜44ドルだった為替レートは旧平価の49ドル85セントに戻された。 昭和恐慌 「リフレーション#昭和恐慌と高橋財政」も参照 金輸出解禁から4カ月で、2億円の正貨にあたる金が国外に流出した。解禁前と解禁後の平価の差額を利用すれば利益が出るため、解禁直後から政府の予想以上に金が流出した点が原因とされる。金本位制のもとでは、金の流出は国内で流通する通貨の減少につながる。このために日本銀行の通貨発行高は、1930年(昭和5年)1月の14億4300万円から同年9月には11億2400万円と減少した。以前から金輸出解禁に備えてデフレーション政策をとっていた日本では、国内市場の縮小や輸出産業の不振がさらに深刻となる。こうして昭和恐慌が起き、特に農産物においては暴落と凶作が重なって昭和農業恐慌とも呼ばれた。加えて、満州事変をきっかけに日本の国際的信用は低下して資本逃避が加速した。同年9月にイギリスが金本位制を停止すると、日本も金本位制を停止するとの予想から円為替レート低下への期待が高まり、国内投資家はドル買いを行い、海外投資家は資本逃避を行った。政府と日本銀行は横浜正金銀行にドル売りの介入をさせ、公定歩合を引き上げて投機を防ごうとするが失敗し、金輸出を停止して再び管理通貨制度に移行した。 1932年(昭和7年)からは、犬養毅内閣のもとで高橋是清が4度目の大蔵大臣に就任して再建策を進めた。国債の日銀引き受けによる通貨供給、低金利といった政策が採用された。為替レートの低下は輸出を促進して、早い段階で景気回復へ向かった。しかし財政再建策を進めた高橋は、軍事費の削減も計画したために二・二六事件で暗殺された。
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