世界恐慌の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 16:24 UTC 版)
「ニュージャージー州の歴史」の記事における「世界恐慌の時代」の解説
アメリカ合衆国の他の地域と同様にニュージャージー州は世界恐慌によって大きな打撃を受けた。1933年までに人口の10分の1はフランクリン・ルーズベルトのニューディール政策に頼るようになった。実際に州の財政が底を突いたので貧しい人々に乞食の免許を発行した。ルーズベルトによる第2ニューディール政策の一部、公共事業促進局の下で新しい事業が興され貧者を支えた。エディソン市のディックス砦の拡張やルーズベルト公園の建設、ピスカタウェイ市のラトガーズ大学のフットボールスタジアムであるラトガーズ・スタジアムの建設などがこれにあたる。世界恐慌の間はストライキが頻発した。1937年にはニュージャージー州の墓堀人集団がストライキを起こした。 1938年、オーソン・ウェルズが「宇宙戦争 (ラジオ)|世界の戦争」というラジオ番組を作った。聴取者は「大きな燃える物体が...グラブズミル近くの農場に落下した...トレントからは22マイル」という声を聞いた。これは地球外の怪物が多くの破壊を引き起こすという筋だった。この放送はラジオ劇だと予告されていたが、ニュージャージー州や周辺の地域にパニックを起こした。多くの人々がその筋書きを真実と信じ、ニュージャージー州から逃げ出すか、家を閉ざして報告された怪物の襲来に備えた。CBSは作り話が聴取者の注意を引くままにさせたことで批判された。ウェルズと他の放送関係者は法律によっては罰せられなかったが、短期間、自宅軟禁状態に置かれた。 政界恐慌の時に、有名な飛行士のチャールズ・リンドバーグの20ヶ月になる息子がホープウェル近くの自宅から誘拐された。警察は多くの道路を閉鎖して誘拐犯の逃亡を阻止しようと図り、またリンドバーグ家の使用人を尋問した。連邦のエキスパート、アーサー・ケーラーが注意深く誘拐犯が使った梯子を調べ、サウスカロライナ州マコーミックにある会社に行き着いた。ジェイムズ・J・フィン中尉は身代金を渡すときに犯人を捕まえようとした。最後は身代金の紙幣でブルーノ・ハウプトマンが割り出された。この紙幣を受け取ったガソリン・スタンドの従業員が、ハウプトマンのダッジ・サルーンのナンバーを紙幣に書き付けていた。ハウプトマンはフレミントンで裁判に掛けられたが、この裁判は「世紀の裁判」と呼ばれた。判決は有罪だった。ハウプトマンはトレントンのニュージャージー州刑務所で電気椅子に座った。リンドバーグ愛児誘拐事件は、誘拐を連邦犯罪(重い罪)とする連邦誘拐法、別の名を「リンドバーグ法」を成立させた。 1937年、ドイツの飛行船ヒンデンブルク号がレークハーストの上空で爆発した。飛行船はレークハーストの繋留塔に近付いているときに、突然失火し、34秒後には水素ガスで充満された飛行船全体が炎に包まれた。この事故で26名の死者を出したが、その多くは燃える船から飛び出した者達だった。民間に信じられていることとは逆に、ヒンデンブルク号は燃えてしまう前の1年間を無事に航海していた。今日でもこの事故に関する疑問や議論が投げ掛けられている。突然の失火の原因として挙げられている説は、ドイツのナチスに対する妨害工作、静電気の帯電、および可燃性繊維である。
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