「神聖な心の画家」展とは? わかりやすく解説

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「神聖な心の画家」展

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 06:21 UTC 版)

セラフィーヌ・ルイ」の記事における「「神聖な心の画家」展」の解説

戦後はますます熱心に制作打ちこみ大判キャンバス使って果実樹木、花(特にマーガレット)などを次々と描いた1927年10月芸術友の会勧めにより、サンリス市庁舎開催される展覧会作品出展することになった。『サクランボの木』、『黒い背景ライラック花束』、『2本のブドウの木』の3点である。この頃、ウーデはすでにフランス戻っていたが、パリでの活動忙しくサンリスに行く機会がなかった。展覧会開催中は偶然シャンティイにいたため、戦後初めサンリス訪れセラフィーヌの絵に再会した。ますます激しく、光と色彩あふれた絵に再び打たれ3点とも購入しセラフィーヌに会う機会得たセラフィーヌは、「旦那様お戻りになったと言うだけで、再会を喜ぶ様子見せなかったが、再びウーデが借りた部屋制作専念し、ウーデはパリで彼女の絵を紹介し1928年には「神聖な心の画家」と題しセラフィーヌ、ヴィヴァン、ボンボワ、ボーシャンらの素朴派作品集めた展覧会開催したセラフィーヌパリでの評価は高まる一方であったが、サンリスでは相変わらず奇人扱いされ、地元の『クリエ・ド・ロワーズ』紙は、「セラフィーヌサンリスアンリ・ルソーだ」と称えながらも、「この優秀な女性は、箒を捨てて絵筆を執った。彼女は好奇心旺盛独学者だ。絵の勉強したことがないし、また、すべきではないだろう」と皮肉を込めて書いている。実際セラフィーヌ部屋こもって讃美歌歌ったり、独り言言ったしながら絵を描くだけで、「セラフィーヌ嬢は誰にも面会しません」と書いたドア掛け一歩も外に出ようとしなかった。ウーデには、「近所女性たちに『教養のない家政婦絵を描くなんて分不相応だ』と、毎日のように侮辱される」と話していた。また、ウーデから経済的援助受けた彼女は、金メッキの皿、精巧な装飾施された額、天使像、銀食器など役に立たない物を次々と買い求めるようになったが、1930年代世界恐慌の時代突入すると、ウーデにはもはやセラフィーヌ散財支える力がなくなり、彼女の絵を買うことすらままならなくなった

※この「「神聖な心の画家」展」の解説は、「セラフィーヌ・ルイ」の解説の一部です。
「「神聖な心の画家」展」を含む「セラフィーヌ・ルイ」の記事については、「セラフィーヌ・ルイ」の概要を参照ください。

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