カナダ太平洋鉄道
カナダ太平洋鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/21 17:20 UTC 版)
この峠を通る線路が1884年に建設された時、ビーバー川から上る東側の路線には、撮影によく使われるストーニー・クリーク橋のような長大橋を必要とした。また峠の西側では、険しい丘陵を越え、また雪崩を避けるために一連のループが用いられた。カナダ太平洋鉄道は1985年秋に工事が完了した後も、しばらく線路を開通させずに置き、冬の間の雪崩の状況を監視した。その結果、31ヶ所にスノーシェードを設置し、その総延長は約6.5キロメートルに及んだ。 大規模な雪崩が幾度か警告なしに襲来し、鉄道は人命財産に重大な被害を負うこととなった。1899年、峠の鉄道駅が雪崩によって破壊されて、8名が亡くなった。1910年3月4日、CPRは、その歴史で最悪の被害をうけることとなる。雪崩のデブリを除去するために運行されていたロータリー除雪車と作業員が、谷の反対側から流れ落ちてきた2度めの雪崩に襲われ、62名が亡くなった。 詳細は「1910年ロジャーズ峠雪崩」を参照 雪崩を避けるために、ロジャーズ峠の下をくぐる全長8キロメートルのコンノート・トンネルは1916年に完成している。当時、これは北米最長の鉄道トンネルだった。廃止された路線の一部は、最終的にグレーシャー国立公園の散策用レイル・トレイルとなっている。 トンネルを通ったとしても、列車が峠を上るためにはCPRの保有する最大級の機関車と後方から押し上げる長い補助機関車を使用としていた。最大級の蒸気機関車“セルカーク”は、この峠により貫通された山脈にちなんで名付けられている。1988年、カナダ太平洋鉄道は輸送量を増強し(それぞれのトンネルを一方通行とする)、東側の勾配を下げるために、峠の下に全長14.7キロメートルのマウント・マクドナルド・トンネルを開通した。
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