ノーザン・パシフィック鉄道
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ノーザン・パシフィック鉄道(ノーザン・パシフィックてつどう、Northern Pacific Railway、略称NP)は、かつてアメリカ合衆国北部に存在した一級鉄道である。営業範囲は、アイダホ州、ミネソタ州、モンタナ州、ノースダコタ州、オレゴン州、ワシントン州、ウィスコンシン州に及ぶ。カナダのマニトバ州ウィニペグやブリティッシュコロンビア州南東部にも路線を延ばしていた。本社はミネソタ州ブレイナード、のちセントポール。他社との合併により、1970年にはバーリントン・ノーザン鉄道、1996年にはBNSF鉄道となり、現在に至っている。
注釈
- ^ 『モルガン家 金融帝国の盛衰』によれば、フランスのエクスレバン
出典
- ^ Strauss, John F. (Jr.) (2001). Northern Pacific Pictorial Volume 5 — Domes, RDCs and Slumbercoaches. La Mirada, California: Four Ways West Publications. ISBN 1 885614 45 4
- 1 ノーザン・パシフィック鉄道とは
- 2 ノーザン・パシフィック鉄道の概要
- 3 旅客列車
- 4 歴代の社長
- 5 脚注
- 6 関連項目
ノーザン・パシフィック鉄道
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「ジェイ・クック」の記事における「ノーザン・パシフィック鉄道」の解説
南北戦争後、クックは未開拓であったアメリカ北西部の開発に興味を持った。1870年、ジェイ・クック商会はノーザン・パシフィック鉄道(NP)の建設に出資することとした。クックはミネソタ州のダルースに惚れ込んでおり、ダルースを起点として太平洋に向かうノーザン・パシフィック鉄道はぜひとも成功させなければならないものであった。 しまいには、クックは太平洋岸から到着する貨物をダルースを通じて五大湖から大西洋、そしてヨーロッパへと継走させることを夢見て鉄道を購入しはじめた。しかし、建設に莫大な費用を投下した上に、クックは資本の評価を過大に見積もっていた。そのため、1873年恐慌(Panic of 1873)をきっかけに、クックは破産した。 同年、カナダでジョン・A・マクドナルド首相がカナダ太平洋鉄道から収賄していたという疑いをかけられて辞任するというパシフィック・スキャンダル(Pacific Scandal)が起こる。クックはこの金融スキャンダルを巻き起こした当事者でもあった。クックの持つノーザン・パシフィック鉄道株はジョージ・スティーブン(George Stephen)とダグラス・スミス(Douglas Smith)が購入した。彼らはカナダ太平洋鉄道を完成させた人物である。 1880年までに、クックは課せられた経済的な義務をすべて処理した。そしてユタ州の銀鉱山への投資を通じて再び富を得た。死去は1905年2月8日、ペンシルベニア州オゴンツにおいてである。
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