ノーザン・ハイト開発計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/22 00:15 UTC 版)
「ハイゲート駅」の記事における「ノーザン・ハイト開発計画」の解説
1935年、ロンドン旅客運輸公社は「ノーザン・ハイト」と呼ばれる開発計画を発表した。この計画では、エッジウェア、バーネット、アレクサンドラ・パレスへのロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道の路線は後者に吸収され、ノーザン線と当駅で、ノーザン・シティ線とフィンズベリー・パークで接続するものとされた。ノーザン線のトンネルを終点だったアーチウェイ駅から当駅の下を経由してフィンチリー・イーストまで延長する工事が行われた。 ノーザン線と、既存のフィンズベリー・パークからの路線の乗換のため、既存のハイゲート駅の直下にコンコースが建設され、アーチウェイ・ロードに面する南側と、プライオリー・ガーデンズに面する北ぐぁに出入口が設けられた。このコンコースの新設により既存の地下道は閉鎖され、コンコースと本線鉄道の島式ホームを結ぶ階段が新設された。コンコースと新設の地下ホームはエスカレーターで結ばれた。ノーザン線のアーチウェイからイースト・フィンチリーへの直通列車は1939年7月3日から運転されたが、当初は当駅には停車せず、1941年1月19日から当駅に停車するようになっている。 第二次世界大戦の勃発により、旧グレート・ノーザン鉄道の電化とロンドン地下鉄への接続は遅れ、当駅の地上ホームの使用も継続された。
※この「ノーザン・ハイト開発計画」の解説は、「ハイゲート駅」の解説の一部です。
「ノーザン・ハイト開発計画」を含む「ハイゲート駅」の記事については、「ハイゲート駅」の概要を参照ください。
- ノーザン・ハイト開発計画のページへのリンク