カナダ大使館への避難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/04 03:15 UTC 版)
「カナダの策謀」の記事における「カナダ大使館への避難」の解説
アメリカ大使館からの脱出に成功したアンダースらのグループはイギリス大使館に近づいたが、アメリカの同盟国であるイギリスへの抗議のために大使館前に集結した巨大な群衆を目の当たりにした。そのためアンダースはグループを自宅に誘導した。彼らはタイ人コックのSomchai “Sam” Sriweawnetrの支援のもと、6日にわたる最初の逃避行を開始した。家から家へと移動し、イギリス人居住エリアでも一夜を過ごした。対欧米融和的なメフディー・バーザルガーン政権が崩壊したため、彼らはこの苦難が早期には終結しない事を悟った。対策を考えた結果、アンダースは旧友のカナダ人外交官のジョン・シェアダウンを頼る事にし、彼らはシェアダウンから好意的な招待を受けた。 11月10日、5人がアンダースの家に到着し、大使のケン・テイラー(英語版)から歓迎を受けた。スタフォード夫妻はカナダ大使公邸に移動したが、他の3人はシェアダウンの家にとどまった。2週間後、農務省から出向していたリー・シャッツがスタフォード夫妻に加えて大使公邸に入った。 彼は当初スウェーデン大使館に避難し、その後スウェーデン領事のセシリア・リトハンダーのアパートに移っていた。結局6人は、その後79日間にわたり隠れざるを得なくなった。テイラー大使とシェアダウンが危険を冒して彼らをかくまったところから救出作戦の端緒が開かれた。他に2つの「友好国」が支援したとされており、占拠されていない外交官向け住居が数週間に渡り避難所として使用された。
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