カナダ国際問題研究所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/27 08:30 UTC 版)
「エスコット・リード」の記事における「カナダ国際問題研究所」の解説
ハーバード大学での教職の口もあったが、リードは1932年から38年までカナダ国際問題研究所(CIIA)の本部で最初の常勤事事務局長になった。彼はこの時期、社会再建連盟(LSR)でも活動している。この組織は1931年から32年の冬にかけてモントリオールとトロントで設立された左派的な有識者の団体である。彼はまた、1932年から33年に結党した新しい社会民主主義の政党である協同連邦党(CCF)に参加している。こうした左派的なものの見方と、今度またヨーロッパで戦争があってもカナダは中立であるべきだという信念のせいで、彼は次第に国際問題研究所に居心地のわるさを感じるようになってきた。こうして彼は新しいキャリアを求めて、1937年から38年にかけてダルハウジー大学の行政学および政治学の臨時教授になった。
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