斎藤実内大臣とは? わかりやすく解説

斎藤実内大臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:22 UTC 版)

二・二六事件」の記事における「斎藤実内大臣」の解説

斎藤実内大臣は、退役海軍大将であり第30代内閣総理大臣である。長く海軍大臣勤めていたところ、1914年シーメンス汚職事件により引責辞任し、朝鮮総督期に子爵称号受けたあと退役し犬養毅首相1932年武装海軍将校らによって殺害され五・一五事件のあとは、元老西園寺公望推薦を受け斉藤内閣率い内閣総理大臣外務大臣任命され陸軍関東軍による満州事変などの混迷した政局において軍部融和的政策をとり、満州国認めなかった国際連盟脱退するなどしたうえ、帝人事件による政府批判高まりから内閣総辞職をしていたが、天皇側近たる内大臣地位にあったことから襲撃受けたのである坂井直中尉高橋太郎少尉、麦屋清済少尉安田優少尉率い襲撃部隊が、四谷区仲町三丁目(現:新宿区若葉一丁目)の斎藤内大臣私邸襲撃した襲撃部隊警備警察官抵抗難なく制圧して、斎藤殺害成功した遺体からは四十数発もの弾丸摘出されたが、それが全てではなく体内には容易に摘出できない弾丸がなおも数多く残留していた。 目の前で夫が蜂の巣されるの見た妻・春子は、「撃つなら私を撃ちなさい」と銃を乱射する青年将校たちの前に立ちはだかり、筒先掴んで制止しようとしたため腕に貫通銃創負った。しかしそれでも春子ひるまず、なおも斎藤かばおう彼に覆いかぶさっている。春子の傷はすぐに手当なされたものの化膿等によりその後一週間上高熱が続いた春子その後昭和46年1971年)に98歳で死去するまで長寿保ったが、最晩年に至るまで当時出来事鮮明に覚えていた。事件当夜斎藤夫妻着ていた衣服斎藤遺体から摘出された弾丸数発は、奥州市水沢斎藤実記念館に展示されている。 斎藤には事件後位一等が追陞されるとともに大勲位菊花大綬章贈られ昭和天皇より特に誄(るい、お悔やみの言葉)を賜った外国勲章シーメンス汚職事件での海軍大臣引責辞任よりあとは受けていない。

※この「斎藤実内大臣」の解説は、「二・二六事件」の解説の一部です。
「斎藤実内大臣」を含む「二・二六事件」の記事については、「二・二六事件」の概要を参照ください。

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