斎藤実内大臣
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斎藤実内大臣は、退役海軍大将であり第30代内閣総理大臣である。長く海軍大臣を勤めていたところ、1914年のシーメンス汚職事件により引責辞任し、朝鮮総督期に子爵の称号を受けたあと退役し、犬養毅首相が1932年に武装海軍将校らによって殺害された五・一五事件のあとは、元老の西園寺公望の推薦を受け斉藤内閣を率いる内閣総理大臣兼外務大臣に任命され、陸軍関東軍による満州事変などの混迷した政局において軍部に融和的な政策をとり、満州国を認めなかった国際連盟を脱退するなどしたうえ、帝人事件による政府批判の高まりから内閣総辞職をしていたが、天皇の側近たる内大臣の地位にあったことから襲撃を受けたものである。 坂井直中尉、高橋太郎少尉、麦屋清済少尉、安田優少尉が率いる襲撃部隊が、四谷区仲町三丁目(現:新宿区若葉一丁目)の斎藤内大臣の私邸を襲撃した。襲撃部隊は警備の警察官の抵抗を難なく制圧して、斎藤の殺害に成功した。遺体からは四十数発もの弾丸が摘出されたが、それが全てではなく、体内には容易に摘出できない弾丸がなおも数多く残留していた。 目の前で夫が蜂の巣にされるのを見た妻・春子は、「撃つなら私を撃ちなさい」と銃を乱射する青年将校たちの前に立ちはだかり、筒先を掴んで制止しようとしたため腕に貫通銃創を負った。しかしそれでも春子はひるまず、なおも斎藤をかばおうと彼に覆いかぶさっている。春子の傷はすぐに手当がなされたものの化膿等によりその後一週間以上高熱が続いた。春子はその後昭和46年(1971年)に98歳で死去するまで長寿を保ったが、最晩年に至るまで当時の出来事を鮮明に覚えていた。事件当夜に斎藤夫妻が着ていた衣服と斎藤の遺体から摘出された弾丸数発は、奥州市水沢の斎藤実記念館に展示されている。 斎藤には事件後位一等が追陞されるとともに大勲位菊花大綬章が贈られ、昭和天皇より特に誄(るい、お悔やみの言葉)を賜った。外国勲章はシーメンス汚職事件での海軍大臣引責辞任よりあとは受けていない。
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