国際連盟の脱退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:06 UTC 版)
国際連盟は満洲事変について、1932年(昭和7年)にリットン調査団を派遣し、その結果10月にリットン報告書が提出され、リットン報告書を基礎に起草された勧告案は1933年(昭和8年)2月24日のジュネーブ特別総会で採択された。 同報告書の内容は日本の満州における特殊権益の存在を認める等、日本にとって必ずしも不利な内容ではなかったが、同報告書が満州国を独立国と認めず国際管理下に置くことを勧告したことから、国内では受諾反対の世論が沸騰。斎藤および内田もこれに呼応し、日本全権首席の松岡洋右はやむなく議場を退席。 3月27日に日本は国際連盟を脱退した(「国際連盟脱退」)。この斎藤内閣の選択を期に、日本は国際社会において孤立への道を歩み始める。
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