国際連盟問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 03:41 UTC 版)
「国際連盟」も参照 ウィルソンは新外交の中心と位置づけた国際連盟を平和条約と不可分であると考えており、熱心な主導者となっていた。国際連盟創設自体はイギリスも戦争目的の一つとしていた が、ウィンストン・チャーチルのようにその構想を非現実的と見なす政治家が多く存在していた。イギリスは連盟を大国間の継続的共働を保障する骨組みとして考え、フランスはドイツの加入を出来るだけ遅らせるなど、現状維持の道具として考えていた。 ウィルソンは連盟の協議を十人委員会で行おうとしたが、ロイド・ジョージやクレマンソーは分科会であり、小国も加えた連盟委員会で協議することを求めた。ウィルソンは小国の協議参加に難色を示したが、結局はロイド・ジョージらの案が通った。ロイド・ジョージらの意図は実質的な講和協議を十人委員会で進めることにあったが、ウィルソンが自ら連盟委員会アメリカ代表となったことでその目論見は外れた。
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