国際連盟期の戦争違法化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 06:17 UTC 版)
「武力不行使原則」の記事における「国際連盟期の戦争違法化」の解説
20世紀にはいると第一次世界大戦の勃発により無差別戦争観の考え方が改められ、戦争に訴える権利や武力行使に規制が試みられるようになった。例えば1907年の契約上ノ債務回収ノ為ニスル兵力使用ノ制限ニ関スル条約や開戦ニ関スル条約などがこの時代における規制に当たる。1919年の国際連盟規約はさらに規制を強め、国際裁判や連盟理事会を通じた国際紛争の平和的解決義務を定め、これに違反して戦争に訴えることを禁止した(戦争モラトリアム)。しかし連盟規約では戦争や武力行使が全面的に禁止されることはなかった。 連盟規約ではできなかった戦争の違法化を達成した最初の条約は1928年の不戦条約であった。これは戦争に訴える権利そのものを否定した最初の条約であったと言えるが、以下のような重大な欠陥もあった。つまり欠陥とは、開戦宣言や最後通牒無しに武力行使が行われる場合のような、正規の戦争ではないものが条約の対象外とされたこと。条約違反に対しての有効な制裁措置が欠けていたこと。条約の解釈・適用に関する紛争解決手続きが定められていなかったこと。各国が留保や解釈宣言を行うことにより条約の適用を除外することが広く認められてしまったこと、といった点があげられる。実際に、1928年から1935年のチャコ事件、1931年の満州事変、1934年のエチオピア事件、1937年の日華事変などでは、連盟規約や不戦条約に違反しないとの主張のもと武力行使が行われた。
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