国際連盟事務総長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 09:50 UTC 版)
「ショーン・レスター」の記事における「国際連盟事務総長」の解説
1937年にジュネーブに戻って国際連盟の副事務総長に就任した。1940年に事務総長に就任した。そのときには、第二次世界大戦による混乱で、連盟の機能は既に停止状態となっていた。前任のフランス出身のジョセフ・アヴェノルがオーストリアやイギリスなどの出身の職員を解雇したため、レスターの就任時には、元々700人だった職員が100人(警備員や清掃員を含む)になっていた。 レスターは戦争中もジュネーブに留まり、国際連盟の技術的・人道的プログラムを限定的に運営し続けた。戦争終結後、レスターは国際連盟の閉鎖を監督して、国際連盟の資産と機能を1946年に新しく設立された国際連合に引き渡した。1946年4月18日、国際連盟の解散が第21回国際連盟総会で決定したのを受けて、事務総長を辞任した。
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