国際連盟での初期の活動
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「ジョセフ・アヴェノル」の記事における「国際連盟での初期の活動」の解説
中産階級のカトリック教徒の家に生まれ、1905年にフランス財務省に入省して財務検査官を務め、1910年からは金融監督官を務めた。第一次世界大戦中の1916年にはイギリス・ロンドンのフランス大使館に赴任して金融問題を担当し、同時に戦後復興のための食品協議会委員を務めた。戦争終結後の1919年には最高経済評議会(英語版)の常任委員に就任した。 ヴェルサイユ条約が締結され国際連盟が成立すると連盟の経済・金融部門に配属され、国際会議のフランス代表も務めた。1922年に財務官に任命され連盟の財政改革に取り組み、1923年にはジャン・モネの後任として事務次長に就任した。アヴェノルは中央・東ヨーロッパの経済復興に努め、1928年には中華民国に使節団を派遣した。 1932年に事務総長エリック・ドラモンド(英語版)の後任問題が持ち上がるとアヴェノルが候補者に挙がった。これは1920年に英仏間で交わされた「イギリス人事務総長の次はフランス人を事務総長にする」という秘密協定に基づいたものだったが、ドラモンドはアヴェノルが後任になることに反対して他の候補者を出すようにフランスに打診した。しかし、フランスはドラモンドの打診を受け付けず、一方のアヴェノルはイギリス・大日本帝国・イタリア王国・ヴァイマル・ドイツの支持を得ていた。
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