下斗米秀之進とは? わかりやすく解説

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相馬大作事件

(下斗米秀之進 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 16:44 UTC 版)

相馬大作事件(そうまだいさくじけん)は、文政4年4月23日1821年5月24日)に、盛岡藩士・下斗米秀之進(しもとまい ひでのしん)を首謀者とする数人が、参勤交代を終えて江戸から帰国の途についていた弘前藩主・津軽寧親を襲撃しようと企図した事件。


注釈

  1. ^ 平九郎は父の跡を相続したが、1822年(文政5年)弟秀之進の事件で1823年(文政6年)大迫に所替となり後に許されて盛岡に居住。1837年(天保8年)に死去した
  2. ^ 田中舘愛橘の祖父
  3. ^ 曾祖父は細井広沢である。(長谷川伸『相馬大作と津軽頼母』)
  4. ^ 大作の蝦夷地探査日誌である『遊歩日抄』は明治期に散逸した。その経緯は渡辺喜恵子の『小説・馬渕川』に詳しい
  5. ^ 長谷川伸の『相馬大作と津軽頼母』では、果たし状を送らず、大名行列の前に立ちふさがってから直接隠居を勧める予定であったとしている。これは一緒に犯行現場まで同行した徳兵衛の江戸での裁判の証言に沿ったもの。
  6. ^ 物語では矢立峠とされることが多いが、これは誤りである。吉田松陰田中舘愛橘は矢立峠としている。現在3カ所に標示があり、矢立峠近くにも「史跡標示」があるが、これは吉田松陰の『吉田松陰東北遊記伝』の記述から来ている。松陰は犯行現場を地元住民からまた聞きしている。碇ヶ関村の県境付近にも「史跡標示」があるが、これは『下斗米将真伝』の芳野金陵の記述に沿ったものである。また、白沢を狙撃場所とする記述もある。相馬大作の従兄弟は白沢と記述しているが、白沢は岩抜山のすぐ北の地名であるし、津軽側の史料は岩抜山と記述しているので、長谷川伸は『相馬大作と津軽頼母』で現場は橋桁集落と白沢集落の間にある岩抜山とした。『下斗米将真伝』の別の記述にも岩抜山の記述がある。「岩抜山」の呼称は明治32年(1899年)の鉄道トンネル開通以降の呼称で、それ以前は近くの集落の名前をとって「橋桁山」と呼ばれていた(『北羽歴研史論集二』)。
  7. ^ 身長6尺(181.8cm)の明朗な若者。実家が花輪にあったが、母の生家がある福岡の地に養子に入り、事件時には22歳であった。
  8. ^ 兵聖閣で兵学や武術を修めるかたわら、独学で易や天文を研究し、自宅の土蔵の屋根に観測台をつくり毎夜天体を観測していたという。事件時には29歳。
  9. ^ 福岡給人の息子で、事件時には19歳の少年であった。
  10. ^ 花輪在住の南部藩の山林巡視員。橋桁山への山道を案内し、襲撃には不参加。名字は赤塚説もある(『相馬大作と津軽頼母』)。
  11. ^ 『下斗米将真伝』では一発駕籠を撃ち抜いたとある。しかし、徳兵衛の江戸での証言では未使用なので、小説『相馬大作と津軽頼母』ではそれに則っている。
  12. ^ 仙台藩で安倫(やすとも)や国包(くにかね)に刀工を学び、刀工名を万歳安国と称した。多くの「相馬大作物」では大悪人とされる。3人の刀鍛冶のうち親分肌の男である。根っからの職人だが芝居などの芸能にも通じていた。大吉は事件後、弘前藩に仕官し、佐々木大吉と名乗る。大吉は後に200石で津軽藩に仕官することになる。(『萬歳安国一代記』荻田如牛)
  13. ^ 直接弘前藩に暗殺への警告文章を渡したのが喜七である。南部藩にいた頃は、南部藩主と同じ字があることから嘉兵衛と名乗った。喜七は野辺地を越え、狩場沢陣所に書簡を届けた。喜七の祖父は関脇宮城野錦之助である(長谷川伸『相馬大作と津軽頼母』)。
  14. ^ 喜七は弘前藩に200石で仕官し、小島嘉兵衛貞勝と改名した。喜七の義理の息子は小島左近貞邦で、弘前藩の銃隊の中隊長を務めたが、野辺地戦争で戦死した。小島左近の孫は小島音之進で、明治16年(1883年青森県師範学校を卒業後、明治17年(1884年)には同校舎長、明治19年(1886年)に同校教導、明治30年(1897年)に故郷に戻った後、第五十九銀行取締役、津軽銀行監査役を歴任する(『明治肖像録』)。
  15. ^ 大吉の弟子である徳兵衛は、秀之進と現場まで一緒に行き、後に暗殺未遂の実態を江戸の奉行所や弘前藩において詳細に語った。徳兵衛は100石で津軽藩に仕官した。
  16. ^ 1830年に作成された笠原八郎兵衛の彩色木像が残されており、弘前市指定有形文化財に指定され弘前城史料館に展示されている。こののち、藩主寧親の浪費を止めることができなかった笠原は、散財の責任を問われ、天保元年(1830年)に知行半減と蟄居の処分を受けている。
  17. ^ 相馬大作の師匠の平山行蔵は伊賀の系統。対して早道之者は甲賀系忍者。奇しくも相馬大作事件は伊賀対甲賀の形になっている。
  18. ^ 間宮林蔵は相馬大作の捕縛を知ると、相馬大作を流罪にとどめ、樺太の警備につかせることが国益に叶うと建言している。
  19. ^ 隠居までは事件から数年も経た後であり、隠居後は悠々自適に風流を愉しんで暮らした。
  20. ^ 牢につながれたのは現場まで行った下斗米惣蔵、一条小太郎、赤坂市兵衛の3人。北町奉行から彼らを江戸に差し出すように命じられた南部藩は、重臣らが相談して出奔したと報告しておいて牢につなぐことに決定した。赤坂市兵衛は実行犯ではなく命令書に名前が無かったので、花輪に帰された。下斗米惣蔵と一条小太郎は16年後に牢から出され、それぞれ惣助と太郎という町人とされた(『相馬大作と津軽頼母』)
  21. ^ 流泉小史は岩手県水沢市出身の作家で「剣豪」を造語した。
  22. ^ 山田風太郎には相馬大作が登場する『怪異二挺根銃 - 津軽忍法帖』『春夢兵』『剣鬼と遊女』『大いなる伊賀者』などの多数の著作がある

出典

  1. ^ 『岩手県の歴史』山川出版社、1972年、134-137頁。 
  2. ^ 森嘉兵衛『岩手をつくる人々. 古代-近世篇 下巻』法政大学出版局、1983年、237頁。 
  3. ^ 森嘉兵衛『岩手をつくる人々. 古代-近世篇 下巻』法政大学出版局、1983年、239-240頁。 
  4. ^ 森嘉兵衛『岩手をつくる人々. 古代-近世篇 下巻』法政大学出版局、1983年、240頁。 
  5. ^ 下斗米哲明 2022, pp. 24–26.
  6. ^ 木村礎、林英夫『地方史研究の新方法』、八木書店、2000年
  7. ^ 下斗米哲明 2022, pp. 37–53.
  8. ^ 下斗米哲明 2022, pp. 65–66.
  9. ^ 海音寺潮五郎『列藩騒動録(下)』
  10. ^ 『角川日本姓氏歴史人物大辞典3(岩手県姓氏歴史人物大辞典) 』、角川書店、1998年
  11. ^ 荻田如牛 2009, pp. 43–48.
  12. ^ 岩手県教育会盛岡市部会編 『郷土資料:修身科補充教材 相馬大作
  13. ^ 下斗米哲明 2022, pp. 87–92.
  14. ^ 長谷川伸『相馬大作と津軽頼母』
  15. ^ 森嘉兵衛『岩手県の歴史』山川出版社、1972年、132頁。 
  16. ^ 田名部事件と八戸氏 [1]
  17. ^ 森嘉兵衛『岩手県の歴史』山川出版社、1972年、133-134頁。 
  18. ^ a b c 『北羽歴研史論集二』
  19. ^ 永沢奉実『津軽史 第20巻 (相馬大作事件)』、青森県文化財保護協会、1990年
  20. ^ 下斗米哲明 2022, pp. 153.
  21. ^ 下斗米哲明 2022, pp. 164.
  22. ^ 永沢奉実『津軽史 第20巻 (相馬大作事件)』、青森県文化財保護協会、1990年、p.351
  23. ^ 永沢奉実『津軽史 第20巻 (相馬大作事件)』、青森県文化財保護協会、1990年
  24. ^ 家伝『青山家略史』
  25. ^ 下斗米哲明 2022, pp. 158.
  26. ^ 下斗米哲明 2022, pp. 182.
  27. ^ 近古史伝 : 名家奇文”. 2022年12月18日閲覧。
  28. ^ 下斗米哲明 2022, pp. 188–189.
  29. ^ 松浦静山『甲子夜話』(正篇三十など)。
  30. ^ 刀 朱銘 延寿國時
  31. ^ 桧垣山名誉碑文”. 2022年12月18日閲覧。
  32. ^ 『あきた』1970年6月1日号
  33. ^ 相馬大作 : 桧山実記”. 2022年12月18日閲覧。
  34. ^ a b 鷲谷豊 1995.
  35. ^ a b c 長谷川伸『相馬大作と津軽頼母』昭和37年度後記、p.404-408(徳間文庫文庫版)


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