三流劇画ムーブメント
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「ニューウェーブ (漫画)」も参照 三流劇画ムーブメントとは、漫画批評集団「迷宮'77」発行の批評同人誌『漫画新批評大系』7号(第2期1号)に「三流劇画ミニマップ」を寄稿した三流劇画共斗会ギ(川本耕次、米沢嘉博、青葉伊賀丸)によって打ち上げられたエロマンガ界のニューウェーブである。これは言わば学生運動のような革命思想を三流劇画の世界に持ち込んだものだった。 米沢嘉博はブームの意図と経緯について次のように回想している。 三流劇画ブームと言われた時代から、既に15年が過ぎた。今だから言えるのだが、あれは、半ば作られたブームだった。僕や川本耕次あたりが中心となって、批評同人誌『漫画新批評体系』〔ママ〕を核に、いろんなメディアに波及させ、業界の一部の人達がそれにノリ、『プレイガイドジャーナル』『別冊新評』が参画することで何とか形になっていったというのが、実際の流れだったような気がする。意図はと問われれば、面白がりたかったからと言うしかない。つまり、マンガはエロも描きうるのだし、マンガファンにも一般にも相手にされていなかった世界にも、才能と変革の意志を持つ作家や編集者がいることを知らせたかったからだ。 — 米沢嘉博「三流劇画15年目の総括」青林堂『月刊漫画ガロ』1993年9月号「特集/三流エロ雑誌の黄金時代」 個人的なことにもなるが、迷宮として漫画批評誌『漫画新批評大系』を出していた七七年の時点において少女漫画とエロ劇画は、新たな可能性を持つ漫画ジャンルとして取り組みを始めることにもなっていった。七七年十二月に出た『漫画新批評大系』(第2期/VOL.1/迷宮77)において、ぼくは「戦後少女マンガの流れ」の連載を開始し、同時に川本耕次と共に「三流劇画ミニマップ」を“三流劇画共闘会議”名で掲載した。(中略)たぶん、ここから三流劇画ブームはスタートしていったはずなのである。(中略)迷宮の中で三流劇画、エロ劇画に積極的に関わっていたのは川本耕次、青葉伊賀丸、そしてぼくだ。川本はこの年の六月頃には『別冊官能劇画』の編集者となり、業界につながりが出来、迷宮と深い関わりのあった村上知彦が編集に携わる『プレイガイドジャーナル』に企画を立ち上げるなどの動きが重なっていく。 — 米沢嘉博『戦後エロマンガ史』青林工藝舎 2010年 221-223頁 その後、この流れは当時の三大エロ劇画誌と言われた『漫画大快楽』『劇画アリス』『漫画エロジェニカ』の編集者(亀和田武、小谷哲、菅野邦明、高取英)を巻き込み「劇画全共闘」として形作られていく。 彼らによると、当時の漫画雑誌界にははっきりとした階層があり、一流から三流までが区別される。一流は『ビッグコミック』を筆頭とする有名誌であり、それに続く一般漫画誌が二流で、三流がエロ劇画誌である。ところがここでの一流は内容においてあまりにも保守的で一切の変革を求めない。そして二流三流でデビューし、実力をつけた作家をつまみ食いにしている、と言い、このような状況を打破するためには三流をもって一流にしなければならない、といった主張がなされた。また『エロジェニカ』では『ガロ』の作家である川崎ゆきおの起用、岸田理生のSF紹介、平井玄のロック論、流山児祥のプロレス論、高取英の少女漫画論などの評論コラムを掲載するなど、上記三誌ではエロ劇画誌の固定観念からは離れた自由な誌面が作られていた。1978年には『11PM』『プレイガイドジャーナル』が三流劇画の特集を組み、1979年には『別冊新評』で「三流劇画の世界」が出版された。 彼らのエロ劇画誌の本分を逸脱した編集方針により、吾妻ひでお、いしかわじゅん、諸星大二郎など彼らに共鳴するメジャー作家や、芸術性が高いばかりに一般誌には受け入れられないニューウェーブと呼ばれた若手作家たち(ひさうちみちお、蛭子能収、宮西計三、安部慎一、鈴木翁二、平口広美、田口智朗、奥平イラ、まついなつき、高野文子、近藤ようこ、柴門ふみ、坂口尚、いがらしみきお、吉田光彦、さべあのま、山田双葉=山田詠美、峰岸ひろみなど)に実験的な作品発表の場が提供され、これらによる名作が生まれた1979年頃までは「エロ劇画ルネッサンス」とも呼ばれる。 こうした潮流は橋本治、梶井純、米沢嘉博、村上知彦、小野耕世、飯田耕一郎ら理論派の論客や『奇想天外』や『宝島』などのサブカルチャー雑誌を巻き込んで展開されたが、彼らの目指したところは全共闘のパロディとしての編集者たちのふるまい以上のセールスポイントを持たないこともあって、いわゆる一般読者の支持を得られず、1978年に『エロジェニカ』11月号が警視庁の摘発を受け発禁、1979年に『アリス』の亀和田が退社、1980年には『大快楽』の小谷・菅野体制が崩壊、迷宮'80編集の『アリス』が休刊、『エロジェニカ』の出版社が倒産に至る。 エロ劇画誌における評論や冒険的な編集姿勢は『漫画バンバン』『漫画バクダン』『漫画ピラニア』『漫画カルメン』『漫画ハンター』『漫画スカット』『官能劇画』『Peke』『月刊コミックアゲイン』『漫金超』『本の雑誌』『漫画ラブ&ラブ』『映画エロス』『漫画エロス』『漫画ダイナミック』『マンガ宝島』『漫画ブリッコ』などの諸誌にも広がったが、高取の『エロジェニカ』からの撤退を期にほどなく収束していった。 『別冊新評・三流劇画の世界』が出た79年頃より、業界はいっきに失速していくことになる。『エロジェニカ』が会社の倒産と共に休刊、『劇画アリス』もまもなく廃刊となり、『大快楽』も編集者がやめることになっていく。『カルメン』『ダイナミック』『ピラニア』など、後を荷負う方向性を持つ雑誌もあったし、『漫画ハンター』『漫画スカット』『ラブ&ラブ』など、面白くなっていた雑誌もあった。だが、幻の三流劇画全共闘の内ゲバ(?)、当局の締め付け、自販機の衰退など様々な要因もあって、80年代に入ると、まるで祭りの後のような寂しい状況になっていった。三流劇画の後を受けたマニア誌を中心にしたニューウエーブ・ブームも含めて、70年代末のマイナーなマンガ群は、80年前後に相次いで創刊されていった『ヤングジャンプ』『ヤングマガジン』などの新青年誌に、いいところだけ吸収されていくことになる。より安く、より有名作家による、明るいSEX物が出回れば、三流劇画誌はたちうちできなかった。また時代は、内山亜紀の人気でも解るように、劇画的な描き込み、青年マンガ的暗さより、明るいロリコン物を求め始めてもいた。エロ劇画誌そのものが、ロリコン誌という過渡期を経て美少女コミック誌へと転回していくのが80年代だ。 — 米沢嘉博「三流劇画15年目の総括」青林堂『月刊漫画ガロ』1993年9月号「特集/三流エロ雑誌の黄金時代」
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三流劇画ムーブメント
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「ニューウェーブ (漫画)」の記事における「三流劇画ムーブメント」の解説
詳細は「エロ劇画誌#三流劇画ムーブメント」を参照 当初からエロ劇画の世界で自分の世界を築き上げる作者も多かった。もちろん、エロでなければ描けない世界というものもある。例えばダーティ松本、北哲矢、村祖俊一、あがた有為、中島史雄、土屋慎吾、羽中ルイ、宮西計三、沢田竜二、三条友美、石井隆、小多魔若史などが代表的な作家であった。 石井隆らがエロ劇画でありながら高い評価を得るなど、エロ劇画に低俗である以外の評価が与えられる例が出始め、一種のエロ劇画ブームが見られるようになった。そのような状況の中から、1978年(昭和53年)に三流劇画ムーブメントが起こった。 これは、当時の三大エロ劇画誌と言われた『漫画大快楽』『劇画アリス』『漫画エロジェニカ』の編集者(亀和田武、高取英ら)によって打ち上げられたもので、言わば学生運動のような革命思想をマンガ雑誌の世界に持ち込んだもので「劇画全共闘」とも呼ばれた。 彼らによると、当時の漫画雑誌界にははっきりとした階層があり、一流から三流までが区別される。一流は『ビッグコミック』を筆頭とする有名誌であり、それに続く一般漫画誌が二流で、三流がエロ劇画誌である。ところがここでの一流は内容においてあまりにも保守的で一切の変革を求めない。そして二流三流でデビューし、実力をつけた作家をつまみ食いにしている、と言い、このような状況を打破するためには三流をもって一流にしなければならない、といった主張がなされた。これらの主張や、『ガロ』の作家川崎ゆきおの起用、またSF、ロック、プロレスなどの評論コラムを掲載するなど、エロ劇画誌の固定観念からは離れた自由な誌面が作られていた。1978年には深夜番組『11PM』で三流劇画の特集を組み、1979年には『別冊新評』で「三流劇画の世界」が出版された。 彼らのエロ劇画誌の本分を逸脱した編集方針により、吾妻ひでお、いしかわじゅん、諸星大二郎など彼らに共鳴するメジャー作家や、芸術性が高いばかりに一般誌には受け入れられないニューウェーブと呼ばれた若手作家たち(ひさうちみちお、蛭子能収、宮西計三、平口広美、奥平イラ、まついなつき、高野文子、山田双葉(山田詠美)、さべあのまなど)に実験的な作品発表の場が提供され、これらによる名作が生まれた1979年頃までは「エロ劇画ルネッサンス」とも呼ばれる。こうした潮流は橋本治、飯田耕一郎ら理論派の論客や『奇想天外』や『宝島』などのサブカルチャー雑誌を巻き込んで展開されたが、彼らの目指したところはいわゆる一般読者の支持を得られず、亀和田の『アリス』は1979年に休刊、1980年には『大快楽』の編集者は退社、『エロジェニカ』の出版社が倒産に至る。エロ劇画誌における評論や冒険的な編集姿勢は『劇画ハンター』『ラブラブ』『映画エロス』などの諸誌にも広がったが、高取の『エロジェニカ』からの撤退を期にほどなく収束していった。
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