三派和平交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/01 17:18 UTC 版)
1961年5月に右派・中立派・左派の3派間で停戦が合意されると、以降ブン・ウムは右派の代表として中立派のプーマと左派のスパーヌウォンとともに「三殿下会談」を重ねる。1962年1月、ジュネーヴ会談において基本的な合意に達し、同年6月のジャール平原会談で三派連合政権に関する協定を結ぶ。そして6月23日、国王に内閣の辞表を提出し、首相を正式に辞任した。同日、プーマを首班とする第2次連合政府が成立するが、ブン・ウムは入閣せず、政界から引退した。
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