三流劇画誌の編集長として
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「亀和田武」の記事における「三流劇画誌の編集長として」の解説
1974年の大学卒業後の秋、実話雑誌を刊行している出版社・明文社に入社するが、学生運動の経歴のため半月で解雇される。なお、この会社には『本の雑誌』刊行前の目黒考二もいた。その後、同1974年秋、やはり実話雑誌系の出版社であった檸檬社に移籍し、小谷哲らと三流劇画誌『漫画大快楽』を1975年から1年半ほど編集・刊行する。 1976年には檸檬社の先輩だった小向一実とともに、アリス出版の創業に参加。「学生運動終焉後、全共闘の残党が各雑誌の編集部に集まった」というウリだった「三流劇画ブーム」の際に、1977年創刊の自販機雑誌『劇画アリス』の創刊編集長を務め、その沢田研二に似た容姿から「三流エロ劇画界のジュリー」と呼ばれた。また同誌ではメジャー少年誌出身の吾妻ひでおに『不条理日記』の連載を依頼し、話題を集めた。この間、三流エロ劇画を称揚する文章も多数発表し、石井隆を「青年劇画十年の総決算」と評し、三流劇画ブームを批判した梶井純、権藤晋や山根貞男と論争を展開した。
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