シュトゥットガルト室内管弦楽団とは? わかりやすく解説

シュトゥットガルト室内管弦楽団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 01:48 UTC 版)

シュトゥットガルト室内管弦楽団: Stuttgarter Kammerorchester)は、ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルトに本拠を置く室内オーケストラである。




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シュトゥットガルト室内管弦楽団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 03:44 UTC 版)

カール・ミュンヒンガー」の記事における「シュトゥットガルト室内管弦楽団」の解説

第二次世界大戦終結した1945年ミュンヒンガー自身オーケストラ作りたいという思い実行移し音楽好きの医者助力を得ながらシュトゥットガルト室内管弦楽団を設立した苦労多く、「日々の金にもことかく有様であったなかドイツとオーストリアから団員集めたり戦争破壊され建物のなかから練習場所を探したり、指揮台自作したりした。さらには楽譜書き写す必要もあり、たまたま入手した手稿写真コピーしたものを写譜したりしたが、この経験通しミュンヒンガーは「原譜できるだけ忠実に演奏すること」を志向するようになった。 特にミュンヒンガーは、バロック時代段階的ディナーミック(テラッセン・ディナーミック)に関する理解深めた語っている。段階的ディナーミックとは、ミュンヒンガー曰くオルガンチェンバロ意識したディナーミックのことで、ピアノからフォルテへの移行連続的でなく断続的に行われるのであるとされるミュンヒンガーは「バッハ彼の同時代の人々は、これによってディナーミックの可能性制限をうけているとは思っていなかったのです。テラッセン・ディナーミックは彼らにとってはそれ相応内的必然性があったのです。彼らは、このディナーミックの法則オーケストラにも、無伴奏合唱曲にも、適用していました」と述べており、バッハ演奏にはモダン・ピアノでなくチェンバロを使うべきだとしている。 ミュンヒンガーはシュトゥットガルト室内管弦楽団でこの知見活かそうとしたが、当初オーケストラから反発され、ストライキ生じたという。この時期についてミュンヒンガーは「いわゆる個人的主観的な表現が、客観的な音楽現象に道を譲るようになるには数ヶ月厳し訓練必要でした」と語っている。ミュンヒンガーリハーサル厳しくパリでの練習見学した読売新聞記者は「見学しているこちらがつらくなる程だが、これだけ激しくたえられるからこそ、あの見事なアンサンブル生まれるのだとうなずける」と記している。また、海外ツアーにおいて逃亡する団員もいた。ミュンヒンガーは「規律による訓練が一番大切です。どの一人独奏者アンサンブルの中の自分役割と、解釈され作品の内容すみずみまで理解して演奏しなければならない。つまりオーケストラ全員一体になって意思を完全に表現するのです。私は優秀なソリスト団員助けられている」と語っている。 また、シュトゥットガルト室内管弦楽団はバロック・オーケストラを志向しており、「対位法的なものとか複雑なポリフォニー透明に明確に演奏することができない」とミュンヒンガー評した「モダン・オーケストラ」とは一線を画すとされた。ミュンヒンガーは、バッハ時代大きなオーケストラ用いられていなかった故にバロック時代大きな音は考えられていなかった」という意見であったミュンヒンガーは「私は二つの目的のために1945年(にオーケストラを)設立した。かつて私は大きなオーケストラ指揮していたがこれだと完全なアンサンブル作り出す事ができない心ゆくまでアンサンブル練習をしたいというのが目的一つだ。もう一つ目的大きなオーケストラではバロックウィーン古典本当の味が出せないことだ。私は2つ目的達成されたと思っている」と語っている。 その結果、シュトゥットガルト室内管弦楽団の編成ヴァイオリン8人、ヴィオラ4人、チェロ3人、コントラバス1人の計16人となり、曲によって管楽器奏者随時追加されバッハヘンデルなどのバロック時代作品中心に演奏しオーケストラ編成拡大したロマン派以降作品基本的に取り扱わなかったが、小編成用の新作作曲家依頼することはあり、フランク・マルタンが『パッサカリア』を作曲したりしている。なお、シュトゥットガルト室内管弦楽団は、作曲当時バロック時代)と同様に20人前後で演奏するスタイル先駆けであるとされている。 ミュンヒンガーとシュトゥットガルト室内管弦楽団は、イタリアイ・ムジチ合奏団とともに第二次世界大戦後バロック音楽ブーム火付け役であるとされている。両者組み合わせ集客率も高く音楽評論家樋口隆一は、留学先テュービンゲン大学講堂開かれたコンサートに「大学や街の重要人物多数出席」したと語っており、さらには「普通の演奏会ではついぞ会うことのなかった顔見知り肉屋夫婦」まで聴きにきていたという。シュトゥットガルト室内管弦楽団の首席ヴィオラ奏者務めた林徹曰くヨーロッパだけでなく世界中で同じよう状況であったという。そのため、ドイツ領事館など、政治的な場で演奏をすることもあった。ローマ教皇イギリス女王など、多く君主元首の前でも演奏している。 オーケストラ1948年フランスへ演奏旅行行い1950年にはスペインイギリス訪れている。なお、ロンドンでの演奏会の際にはエーリヒ・クライバー舞台裏訪れ演奏称賛した。他にも中南米イタリアスイスオランダベルギーインドなどを訪れている。1956年には西ドイツ政府音楽使節として訪日し読売新聞社主宰しドイツ大使館後援した全国ツアー日本各地訪れたその際にはミュンヒンガー夫婦マネージャーのフリードリッヒ・ベック、オーケストラメンバー共々歌舞伎座五郎劇団の「なよたけ」を鑑賞している。また、広島平和公園原爆慰霊碑詣で原爆資料館訪れたり、皇居楽部雅楽鑑賞したりした。なお、日本での最終公演ではハイドン作曲の「告別」が演奏された。 1987年ミュンヒンガーは健康上の理由音楽監督辞し1990年3月13日死去した。なお、ミュンヒンガー死後の1995年には、結成50周年記念したワールド・ツアーが行われた。

※この「シュトゥットガルト室内管弦楽団」の解説は、「カール・ミュンヒンガー」の解説の一部です。
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