ミュンヒンガーとは? わかりやすく解説

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ミュンヒンガー

名前 Münchinger

カール・ミュンヒンガー

(ミュンヒンガー から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 03:44 UTC 版)

カール・ミュンヒンガーKarl Münchinger, 1915年5月29日 - 1990年3月13日)は、ドイツ指揮者である。ヘルマン・アーベントロートに師事したのち、シュトゥットガルト室内管弦楽団を主宰した。ミュンヒンガーとシュトゥットガルト室内管弦楽団によるバロック音楽の演奏は高く評価されたが、ニコラウス・アーノンクールに代表されるオリジナル楽器と歴史的奏法を重視する指揮者が台頭すると、時代遅れとみなされるようにもなった。


注釈

  1. ^ 常に葉巻を吸っていることで有名なアーベントロートに対し、ミュンヒンガーは同じく葉巻を吸いながら最初の授業に臨んだ[1]。アーベントロートはこのいたずらに喜んだとされるが「タバコの量が芸術のできばえを決めるものではないよ」と語ったという[1]
  2. ^ なお、1956年の訪日時のメンバーは以下のとおり[16]
    第1ヴァイオリン ヴェルナー・クロツィンガー、アドルフ・マンドウ、リタ・ルーフ、フランシーヌ・ギニャール。
    第2ヴァイオリン ヨハン・グラフ・ツボー、マグダレーヌ・ハース・ベルコウ、ヘラ・クーン、エリカ・ヴィンター。
    ヴィオラフォルクマー・アツォーネ、フリッツ・ヴィトマイヤー、ウルリッヒ・コッホ。
    チェロジークフリート・バルヒェット、ヴォルフガング・シュヴェープシュ、ルドルフ・ミュラー。
    コントラバス ヴィルヘルム・ノセック。
    なお、新聞記事では「女性が5人もいるのもこのオーケストラの特長といえよう」と記されている。
  3. ^ 1956年の訪日公演では日本のホルン奏者千葉馨が参加した[17]
  4. ^ チャイコフスキー作曲の弦楽セレナーデを演奏した記録もある[20]
  5. ^ なお、ミュンヒンガーは舞台裏を訪れた人物がエーリヒ・クライバーであるとは知らず、元ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団団員で、シュトゥットガルト室内管弦楽団で首席ヴィオラを務めた奏者が「クライバー教授、こんなところで何をなさっているんです」と話しかけるまで気がつかなかった[14]。クライバーはこれを面白がり、のちにそれを知ったクライバーの娘も「父のことを知らない指揮者がいたなんて、感動的」と述べている[14]
  6. ^ 当時の西ドイツ外務大臣H.フォン・ブレンターノが、演奏会を主宰する読売新聞にメッセージを寄せた[25]
  7. ^ また、ミュンヒンガーの友人で、新鮮細胞療法を創始した臨床医パウル・ニーハンスも共に訪日した[35]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k マライン、ラインハルト (1965)、 320頁。
  2. ^ 村田武雄 (1956年1月26日). “これが本格的な室内楽演奏シュツットガルト室内オーケストラへの期待”. 読売新聞朝刊: p. 8 
  3. ^ a b c d マライン、ラインハルト (1965)、321頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 樋口隆一「カール・ミュンヒンガーを偲んで」『音楽の友』1990年6月、 134-135頁。
  5. ^ a b c 大谷 (2010)、115頁。
  6. ^ a b c d e f マライン、ラインハルト (1965)、322頁。
  7. ^ a b c d “本社3大企画 シュツットガルト室内管弦楽団を招く”. 読売新聞朝刊: p. 1. (1956年1月1日) 
  8. ^ 『世界のオーケストラ辞典』202頁。
  9. ^ a b 音楽之友社編『名演奏家事典(下)』音楽之友社、1982年、1008頁。
  10. ^ a b c d e マライン、ラインハルト (1965)、323頁。
  11. ^ a b “ミュンヒンガー会見記 若々しくあかるい目 未知の日本にあこがれ”. 読売新聞朝刊: p. 3. (1956年2月19日) 
  12. ^ a b 松本 (2013)、59頁。
  13. ^ “アンサンブル創造の秘密 ミュンヒンガー氏、記者に語る”. 読売新聞朝刊: p. 7. (1956年3月8日) 
  14. ^ a b c d e f マライン、ラインハルト (1965)、324頁。
  15. ^ a b 植村 (2011)、256頁。
  16. ^ “シュツットガルト室内管弦楽団の横顔 若手コンサートマスターが2人”. 読売新聞夕刊: p. 2. (1956年3月9日) 
  17. ^ “[鑑賞のメモ]”シュツットガルト”お別れ演奏 万感こめ「告別」の曲”. 読売新聞 夕刊: p. 2. (1956年3月30日) 
  18. ^ “6月5日に岡山公演 ドイツのシュトゥットガルト室内管弦楽団”. 朝日新聞朝刊: 岡山面. (1995年5月25日) 
  19. ^ “6月に広島公演 シュツットガルト室内管弦楽団結成50周年記念”. 朝日新聞朝刊: 広島面. (1995年5月19日) 
  20. ^ a b “シュトゥットガルト室内管弦楽団 6月16日開催ーー熊谷文化創造館”. 毎日新聞 埼玉版: p. 26. (2001年4月26日) 
  21. ^ a b c d マライン、ラインハルト (1965)、325頁。
  22. ^ “シュトゥットガルト室内管弦楽団”. 朝日新聞夕刊: p. 17. (1993年5月25日) 
  23. ^ モンサンジョン (2000)、312頁。
  24. ^ “シュツットガルト室内オーケストラ 東京演奏会”. 読売新聞朝刊: p. 7. (1956年1月26日) 
  25. ^ “音楽に結ぶキズナ 西独外相からメッセージ 来日迫るシュツットガルト室内管弦楽団”. 読売新聞朝刊: p. 7. (1956年3月2日) 
  26. ^ “"日本は暖かくて天国" シュツットガルト一行、本社を訪問”. 読売新聞夕刊: p. 3. (1956年3月7日) 
  27. ^ “初練習を公開 シュツットガルト室内楽団”. 読売新聞夕刊: p. 3. (1956年3月8日) 
  28. ^ “シュツットガルト室内オーケストラ(社告)”. 読売新聞 朝刊: p. 7. (1956年3月20日) 
  29. ^ “3たび贈るシュツットガルト 明快精巧なバッハ 流麗なロッシーニ”. 読売新聞 夕刊: p. 2. (1956年3月23日) 
  30. ^ “”素晴らしい古典” シュツットガルト楽団、歌舞伎座へ”. 読売新聞朝刊: p. 7. (1956年3月12日) 
  31. ^ “広島の慰霊碑参拝 シュツットガルト一行”. 読売新聞 朝刊: p. 7. (1956年3月21日) 
  32. ^ “[話の港]”. 読売新聞 夕刊: p. 3. (1956年4月2日) 
  33. ^ “日比谷で再び公演 シュツットガルト室内楽団盛況”. 読売新聞 朝刊: p. 7. (1956年3月25日) 
  34. ^ “告別演奏会 シュツットガルト室内オーケストラ”. 読売新聞 朝刊: p. 7. (1956年3月27日) 
  35. ^ “ローマ法王の侍医 ”日本の春”を探りに滞在”. 読売新聞 夕刊: p. 3. (1956年3月29日) 
  36. ^ “シュトゥットガルト室内管弦楽団 シーガル指揮で来日公演”. 朝日新聞夕刊: p. 13. (1989年4月18日) 
  37. ^ “90 追悼”. 朝日新聞朝刊: p. 10. (1990年12月31日) 
  38. ^ “シュトゥットガルト室内管弦楽団公演”. 朝日新聞夕刊: p. 12. (1995年2月14日) 
  39. ^ マライン、ラインハルト (1965)、326頁。
  40. ^ 演奏家別洋楽レコード総目録 1973年音楽之友社 144頁
  41. ^ CDジャーナル (2015)、141頁。
  42. ^ ハフナー (2009)、233頁。
  43. ^ a b 植村 (2011)、257頁。
  44. ^ 大嶋 (2006)、11頁。
  45. ^ 岡鹿之助 (1956年2月22日). “釣りおとした魚”. 読売新聞朝刊: p. 8 
  46. ^ “シュツットガルト室内管弦楽団入京 春雨の羽田へ一行18人”. 読売新聞朝刊: p. 7. (1956年3月7日) 
  47. ^ a b c “シュツットガルト室内管弦楽団 流れる音の美しさ ゆうべ演奏披露にうっとり”. 読売新聞 朝刊: p. 7. (1956年3月10日) 
  48. ^ 大岡昇平 (1956年3月21日). “楽しむための音楽 シュツットガルト室内楽団に思う”. 読売新聞 朝刊: p. 8 
  49. ^ 植村 (2011)、258頁。
  50. ^ a b 磯山 (1990)、188-189頁。


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ミュンヒンガー

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クライムクラッカーズ2」の記事における「ミュンヒンガー」の解説

銀河広く名の知られ音楽家10年前政情不安定なダウ太陽系慈善演奏のために訪れた際に、乗船していた宇宙船爆破され帰らぬ人となる。一人孤児引き取って息子として育てていたが、ミュンヒンガーの死後消息不明となっている。

※この「ミュンヒンガー」の解説は、「クライムクラッカーズ2」の解説の一部です。
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